人間のエゴと動物
最近、札幌市で出来た動物園条例について色々と思うところがあったので、改めて人間と動物の関係について考えてみたい。
(https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20220523/7000046773.html)
札幌市動物園条例ができた理由として、円山動物園のHPでもいくつか背景が出ているが、上のNHKニュースによれば
ということで、動物の福祉を確保することによって生物多様性を保つことが目的ということらしい。
今回の条例では動物園の定義として動物の保護・調査のための施設ということが明記されている。
21世紀に残る今日の動物園で色んな動物を柵で囲って人間が面倒を見ているのは、動物を保護・調査することで種の保存をするためだというわけらしい。
種の保存が果たしてどれだけの「イイこと」なのかについては地球環境全体にまたがることで甚だ複雑そうなのでまた考えるべき議題だとして、ここでは動物福祉について考えたい。
動物福祉とは、日本動物福祉協会の定義によれば、
これを見るとやはりまず思うこととして、我々の現在の生活との矛盾だ。
上の動物の福祉の立場から見れば、彼らを柵に囲って餌を与えて肥やし最終的に食肉加工のために殺してしまうということは極めて非人道的だ。
そもそも上で配慮されている対象の動物は「飼育下あるいは人間によって制限された環境にいる動物たち」であるわけだが、飼育する・人間によって制限するという行為自体が倫理的にどうなんだと思わざるを得ない。
いやいや、飼育・制限を問題にしているわけではなく、それをするのならば「できる限り快適に、できる限り苦痛をうけずに生活できるようにする義務と責任」を考えるべきだということなのかもしれない。
「福祉」という言葉は、「しあわせ」や「ゆたかさ」を意味する言葉であり、本人が良しとするならそれが倫理的かどうかというのは二の次の問題なのだということかもしれない。
そうであれば、管理下に置かれて人間の思う通り、手段として命が用いられてしまう動物の幸福を考慮してあげることにはどういった意義があるのだろうかと思う。それについて説明している記事を調べてみる。例えばこれ。
・・・甚だ疑問に残るわけだが、まず食の安全性について。
記事本文によれば飼育する動物にストレスがかかることによって抵抗力が落ち、病気にかかりやすくなり、それを予防するためにワクチンや抗生物質を投与することで摂取する人間の安全性が損なわれるという主張。
自分は畜産シーンにおけるワクチンや抗生物質について詳しくないので断言はできないが、育てる側としては摂取させる薬についてももちろん人体に影響の出ない安全なものを選ぶはずだ。
仮に完全に動物にとってストレスフリーな環境を作り上げたとしても、食べ物を作る以上、ストレスフリーで健康だからと言って病気への配慮を怠って無農薬で育てた動物を提供されても逆に不安になる。
(そもそも害虫駆除のための農薬と病気を予防するために動物に与える薬とは幾分かワケが違うとは思うのだが。)
2点目の畜産業への好影響についても内容としては同じで、ストレスフリーだと薬を使わないから育てる側にも好影響ということらしい。
だがストレスをかけないことで果たしてどれだけ健康に好影響を与えるのか、具体的にどのような危険な薬を使わなくてもいいようになるのか、それら具体的な部分は分からないため上の2点について支持することは難しい。
などと色々と実益的な部分でも疑問はあるが、最終的に問題になるのはやはり倫理的な部分だろう。
この記事でも結論部分として、
スタンスとしては日本動物福祉協会と同じで、動物福祉は「ともに地球に暮らす私たちが幸せに共存するためにやるべきこと」であり、「動物たちが本来生きるための行動や習性、生態を守っていく倫理的な務め」であるということだ。
そしてここでも動物の飼育・制限を否定してはいない。
動物を支配して生きている我々人間は、その時点で非倫理的行為をしてしまっている。その非倫理の程度としてせめて生きている間は自然環境と同じように育ててあげようという主張は、結局サイコパスにしか見えない。
狭い部屋で監禁されて殺されるか、もうちょっと広い施設に閉じ込められて殺されるか。どちらにせよ動物は最終的に自分が殺されるということを知らされず、日常の中である日唐突に殺されてしまう。
結論、私には大差なくどちらも非倫理的な行為に見える。だからそれを緩和する行為も少しでも罪悪感を弱めたい強烈な人間のエゴにしか見えない。
その非道徳さを受け入れるために動物が肉になっていく過程を学ぶことが重要になるのだし、日々「いただきます」と祈りを込めるのではないかと思う。
そして動物園も同じように見える。動物園で生きる動物たちの福祉を考えることで健康的になり、種の保存のための調査がより容易になる。動物がよりよい表情をして見ている人も気持ちいいという声もあった。
全てが人間都合で進められた、与えられた福祉であって、決して自由などではない。それは決して倫理的な行為には見えない。動物福祉は人間にとって都合の良い結果だけを求める「手段」にしか見えない。動物の幸福が「目的」などでは決してない。
ただここまで言ってしまったものの、動物への非道徳を軽減する行為はどのような形であれ動物にとっては「イイこと」である。
人間の歴史と同じようにこうやって少しずつ待遇が改善していけば、いずれは「動物たちの自由な社会」がやってくるかもしれない。
ただ、現代に生きる我々人間がこのまま変わらない生き方をする以上、動物へ強烈な非道徳をしていることは受け入れなければならないし、そこから目を逸らしてはならない。
そして私の個人的な話になるが、動物への非道徳さを改善することが人間社会の世界平和につながるとは思えない。だから動物への待遇改善についてそこまでの必須感はない。
それについて説明するのはまた大分長くなってしまうので割愛する。
ともかく、動物福祉のどこまでもクリーンなイメージに対する違和感は幾分か解消できたような気がする。私としては関心のない分野だがこのまま人間のエゴによる動物福祉が続いても動物への非道徳は永遠に解消されない。
それだけは確実だろう。
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