『日の名残り』完璧な邦題

自分の親と同世代、あるいはさらに年長の方が、「人生」および「人生から得た教訓」を真摯に、謙虚に、誠実に語ったならば、誰しも素直に傾聴できる。

自らの思いつきの上記仮説について、『日の名残り』(カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳、ハヤカワepi文庫)既読の私は、「真である」と言い切れる。

本作は英国の老執事がひょんなことから屋敷の米国人主人から数日間の暇をもらい、主人の高級車を借り、英国内を旅するというロードムービー的小説である。
しかし、紙面の多くは、この旅を通じての出会いや経験ではなく、旅の最中の自らの半生(八割生とでも言うべきか)回顧録に割かれる。なお、現在舞台は第二次世界大戦後(1950年代)であり、回顧録では戦前が描かれる。

冒頭、この老執事の一人称の語り口が続き、さらに読み進めるにつれ、読者はこの語りが全編を通じることを覚悟する。
そして、彼がこの旅を通して読者に語りかける内容は、頭で理解するというよりも、心で感じ取る類の教訓であり、だからこそ、その教えの持続力は長く、永い。
さらには、「一日のうちで最も美しい」という夕暮れに、つまりは人生の終盤に、「人は何を思い、何を思うべきなのか」。その手掛かりさえも教えてくれる。

世間の評価を決して裏切ることのない、紛れもない傑作である。

ところで、原題は『The Remains of the Day』とある。
「時代遅れ」のように過度な情緒的意訳をせず、「ある日の夕暮れ」などと定冠詞「the」に固執もしない、邦題『日の名残り』。

「日」の解釈の多様性を維持し(「today」や「今日」が「現在の1日(きょう)」と「最近(こんにち)」の両方の意味を持つように)、美しさと儚さを併せ持つ「名残り」を足し合わせたこの純三人称的邦題は「老執事の人生観」とも一貫しており、まさに本作を要約した完璧な邦題である。

不惑を越えた男性の皆さまにおかれましては、是非、ご一読いただきたい。

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