『エデン』やはりミステリーに支えらえて

スポーツ・フィクション執筆は難易度高

 スポーツ・ノンフィクションは私の最も好きな本のジャンルの一つである。
 翻ってスポーツ・フィクションとなるとどうか?
 そもそもスポーツそのものが十全なエンターテイメントである。そして虚構(フィクション)に頼らずとも、その背景(通常なら、選手の試合前・中・後の心理描写)を描いたスポーツ・ノンフィクションには十二分、否、至極心踊らされる。
 したがって、これらに匹敵する「フィクション創作力」を要するスポーツ・フィクションの執筆の難易度は当然高くなる。
 実際、競技面において「そりゃ、ありえないぜ」と嘆息したくなるフィクション描写により、鼻白む作品は少なくない。

『エデン』における競技面

 さて、近藤史恵氏によるスポーツ・フィクション『サクリファイス』(新潮文庫)に続き、今回はその続編となる『エデン』(同上)を読んだ。
 主人公・白石誓(しらいしちかう)はフランスを拠点とするチーム「パート・ピカルディ」所属の27歳(『エデン』時点)のロードレーサーである。脚質はクライマー型、より正確にはパンチャー型の選手である。武器として「高度な下りの技術」を装備している。
 また、メンタリティはステレオタイプな日本人、つまり協調性重視思考の持ち主である。
 ゆえにエースには程遠い、アシストタイプの選手である。(『サクリファイス』時点では日本国内チームの所属選手であった白石誓。彼が初めて抜擢された海外遠征レースにおけるこの協調メンタリティの発揮こそがヨーロッパチーム移籍への扉を開いたのだが)。
 『エデン』では自転車レース世界最大の祭典「ツール・ド・フランス」(以下、ツール)を軸にロードレーサーとしての誓の迷いや葛藤を描きつつ、自転車レースの奥深い魅力の提示を試みている。
 が、残念ながら文体が軽すぎ、レース自体および登場人物の心情に関する熱量のいずれもが読者に伝わりにくい。加えてセリフへの工夫も感じられない。
 また競技面への見解が浅く、自転車レースの熱心な観戦者はもちろん、観戦レベル初級の私にとっても既知の枠を出ない。
 もっとも、自転車レースを全く知らない方々の最初の疑問、なぜ自転車レースがチーム競技と呼ばれるのか? 文字通り『サクリファイス』の象徴・アシストと呼ばれる選手がなぜ必要なのか?、「逃げ」の意味するところは? など入門的な事柄についてはわかりやすく述べられている。
 また、自転車レース(特にグランツールと呼ばれる3週間にもおよぶレース)は一部の選手のみ(例えば2021年のツールでは出場23チーム184名中10名程度)が総合優勝を狙い、ほとんどの選手は自身の個人成績は二の次に、チームより課せられた各々の任務遂行に向かって戦う不思議な競技なのだが、その理由もよくわかるはずである。

やはり得意の土俵で

 聞けば彼女は本来ミステリー作家とのこと。
 両作品(『サクリファイス』、『エデン』)共にミステリーが織り込まれ(ミステリーの仕掛けについては『サクリファイス』の方がより優れている)、その分、スポーツ・フィクションからはみ出した新しいスタイルといえよう。
 スポーツ・フィクションとしての評価は、上記の通り厳しいものにならざるをえないが、得意のミステリー(本作『エデン』においては事件の動機)での挽回になんとか成功している印象である。

「山岳ステージ」だけではなく

 ただ、ここまで厳しい評をしながらも、私はこの後も続々刊行されている一連の「サクリファイス」シリーズを読み続けるのだろう。
 なぜか?
 身もふたもない理由であるが、手軽に読める丁度良い娯楽なのである。
 読書においても、辞書とにらめっこしながら読み進むような、あるいは人間の暗部を照らし出すような、またあるいは望まぬ形で読者の自己認識を改めなければならないような「山岳ステージ」風作品だけでは疲れるのだ。本作の様な「平坦ステージ」、時には汚れた心を洗ってくれるような「休息日」風作品も必要なのだ。
 自転車レースに関心のある方々、あるいは「ちょっと軽めの小説を読みたいな」といった方々には「おすすめ可」あるいは「★★★☆☆」といた風情である。
 驚くことに『エデン』から読んでも、全く問題ない構成になっており、これには脱帽であった。が、やはりシリーズ第一作の『サクリファイス』からお楽しみいただきたい。

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