【愛される技術よりも愛する技術】


こんにちわ

今回はアドラーの教えについて書いていこうと思います。

皆さんは人生においてもっともっと周りから信頼されたなら、もっと自分の良さを理解してくれたなら

など悔やんだことはありませんか?

その結果、本を読んだり、記事を読んだり、相談してみたり、ふとした瞬間話題にしてみたりして、

愛されるために頑張ろうとします。

しかし、それは物欲と変わりないのです。

皆さんは何かが欲しい時、絶対に手にしてやるというような躍起になった気持ちになると思います。

そうやって頑張って手にしたものは手にして慣れてしまうと、

いつしか頭の片隅から消えて来るときが一般的だと思います。

これは恋愛においても同じことをやっている人もすくなくはないでしょう。

しかし、本当の愛は、愛されることではなく、愛することにあります。

愛されることに注力する人は、愛してくれない人を好ましく思わないことがあります。

愛されるためのノウハウがまとめられた本にもよく書いてあることかもしれませんが、

愛されるためには、まず関心や信頼、尊敬の念を寄せることが大切になってきます。

利己を極めればか利他にたどり着くと著書にも書いてあるように、

本当に愛されるには、愛することが避けては通れないのです。

よく恋愛もののドラマや映画で付き合うまでの過程を表現していますが、

アドラーが本当に大切にしていたのはその後なのです。

その後にいかにお互いが愛されるために生きたかどうかなのです。

「私」として生きるのではなく、「私達」として生きたのかです。

それほど、目の前の相手を自分のことのように愛しているかが大切になってきます。

だから、アドラーは偽善者だの、理想だけをを述べる非現実主義だの言われ、

たくさんの敵を作り、仲間から見捨てられました。

逆に言えば、アドラーは常識で考えるのではなく、建設的だったのです。

更にアドラーは建設的だと思ったことに対して信じ続けるような人でした。

今回は宗教的なテーマにはなってしまいましたが、アドラーに興味が湧いてきませんでしたか?

ごく一部しか紹介してませんが、アドラーが反響を呼ぶのも分かりますね。

何度でも読む価値のある内容なので、また読み返して新しい気づきがあった時に共有していきます。

ありがとうございました。


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