【連載】ambivalence. ~vol.3~ あの頃の私は、何も持っていなかった。
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____2020年春。
世の中の話題は、世界的に大流行した謎のウイルスのことで持ち切りだった。
新入社員の社内研修、大学生の授業。様々なことがオンラインで行われ、外出するのも、周囲との接触も最低限にするよう義務付けられた。
「オンライン飲み」なんてものも流行った。
正直、定時で仕事が終わったら、かなり暇なのである。
4月に入社し、配属が決まる6月までは新人研修があった。
ところが、なにせ歓迎会などの飲み会もなければ、研修はオンラインのため出社していないので、仕事終わりに寄り道することもない。
とにかく暇なのである。
制限された生活の中、なるべく電車を使わない範囲で買い物したり、今まで全くハマらなかった料理に精を出してみたり。おうちでYoutubeを見ながらヨガをしてみたり。
周囲と断絶される心の隙間を埋めるように、持て余した時間の使い道をただひたすら考えていた。
そんなこんなで、少し寂しい気持ちと共に過ごしていた社会人生活。
一方で、被写体活動はというとほぼ活動休止のような状態でほぼ何もしていなかった。
正直特にこれといった理由はなかったのだが、強いて言うなら「新生活に慣れるため」、会社員にまつわる事以外の活動は少し控えていた部分があった。
”新生活”と一言にいっても、具体的にこれまでと何が変わったかというと
「住む場所が変わったこと」、そして「一人暮らしを始めたこと」だ。
これは私にとって大きな人生の転換期であった。
生まれ育った関西から我が身ひとつで愛知に来て、正直慣れないことも沢山あった。それでいうと未だにこの土地には慣れないことも多々ある。
一人暮らしには昔から憧れがあったが、いざ始めてみると、これといって特に特別なことなどない。
ただ自分の身の回りのことは自分でやらなければ誰もやってくれない、という事だけだ。
これまで親のスネをかじって生きてきた側の人間なので、私はとにかく生活力がない。
スーパーで勢い余って多めに買ってしまった食材を二週間も冷蔵庫に放置して気づいたら真っ黒になってしまっていたり、洗い物と料理が面倒くさくてしばらく台所を放置している間に、流し台に森(カビ)が生まれていたり。
てんやわんやしながら、本当になんの変哲もない、普通の日常を送っていた。
____夏が過ぎて、秋。
コロナ禍とはいえ、会社で複数人は仲の良い同期もできた。
たまに、そんな同期と飲みに行ったり。
仕事面では、誰しもが通る道ではあると思うが、毎日が新しく覚える事の連続で。帰宅しては疲れてだらだら過ごす日々。
”普通”の定義は難しいけれど、間違いなく自分は「普通の会社員」の一人であった。
そんな秋。会社で実習がある時期だった。
うちの会社はメーカーなので、実際に製品が作られている工場で作業員の一人として毎日仕事をする。
これが結構力仕事だったり、実習の3ヶ月間、工場の敷地内の寮に住み込みしないといけなかったり、自分にとってはなかなかハードなものであった。
短い期間ではあったが、この経験が「仕事」に対して、自分の人生に対して改めて向き合う機会となった。
仕事において、向き不向きというものは必ずあると思う。
1日8時間。昼休みや通勤時間も考慮したら、一日のうち半分を占める。
週5日稼働だとして、少なくとも今後の人生の3分の1は「仕事」に時間を捧げることになる。
誰しもが”向いている仕事”に就けるわけでは無いし、誰しもが”好きな事”を仕事にできるわけでは無い。
むしろ、そんな人間は世の中にほんの一握りだと思う。
これは私においても例外ではなかった。
じゃあ、何ならできるんだろう。何が好きな事なんだろう。何が向いているんだろう。
そう思った時に、私は何も持っていなかった。
今まで自分の取り柄は「平均よりちょっと顔が良い」事だと思って生きてきた。(先に謝っておきます。すみませんw)
しかし、社会に出たらそんなことでは通用しない。
サラリーマンにおいて、少し見た目が良いことなど、何のアドバンテージにもならない。
そう考えると、私は何も持っていなかったのだ。
私は、このままで良いのかな。
このままじゃ何がダメなのかな。
このまま社会の歯車の一部として、今目の前にあることをそれなりに頑張っていたら、何か変わる日は来るのかな。
このままじゃ、これから「少し見た目が良いこと」以外何の能力も魅力もなく、ただ歳を食って、中身は空っぽの人間になってしまうのではないか。ふとそんな危機感を覚えた。
何か、自分にしかできないことをやりたいな。
形として目に見えるものじゃなくても良いから、周囲の人達に何か良い影響を与えられるようなことを。
自分の人生において、誰かに覚えていてもらえるような事を成し遂げたいな。たった一つでも良いから。
そう考えた時に、選択肢として手元にあったのが「もう一度被写体の世界に関わること」だった。
もしかしたら、それは撮影会を立ち上げることではなかったかもしれない。
そのくらい、偶然選んだ選択肢のようでもあって、正直その頃は「これを絶対に成し遂げたい!」とか強い志があったわけでもなかった。
(ちなみに、mer撮影会立ち上げ時の思いについては過去のnoteでもうちょい詳しく書いています↓)
翌年春、mer撮影会を創立。
構想段階から立ち上げまでは、ちょうど半年ほどであった。
自分にとって初めてのことだったのでとにかく不安要素はひとつでも残したくなく、これまで名古屋で関わったことのある業界関係者には一人一人電話をかけ挨拶をした。(まさに仁義を切るという表現が近しいかもしれない。)
立ち上げに伴って、様々な人が相談に乗ってくれたり、助言をくださったり、実働においても手伝ってくれたりして、本当に人の大切さを知った。
これだけでも、自分にとっては大きな成長であった。
とはいえ、最初から何事も上手くいくはずもない。
撮影会立ち上げ当初のことは過去のnoteでも振り返っているが、正直このnoteを書いた頃(立ち上げてから1年くらい)は、まだまだこれから成長していく段階というのもあって、あまり等身大の自分を曝け出したくなかった。
だから、実は当時のnoteではほぼ表向きの内容しか語っていない。
今回の連載は ”自分の両面性に対峙したい”というのがテーマで書いているため、あえてよりリアルな側面を深掘っていきたいと思う。
(ご興味のある方は過去のnoteもどうぞ↓)
名古屋という新境地。 知名度も、人脈も、実績もゼロ。
まさにこの一言に尽きた。
関西ではそれなりに被写体としての名を轟かせていたつもり(あくまでつもり)ではあったが、実際これまでほぼ何の活動もなかった名古屋で撮影会を立ち上げ、自分の影響力などほぼゼロに等しいということを思い知った。
同時に、当時名古屋ではあまり主流ではなかった「個撮中心」「所属モデル制」という形態。さらにはコロナ禍真っ只中での立ち上げというのもあり、なかなか風当たりが強かったのも事実だ。
また、集客が厳しいとかそれ以前の問題で、当時モデルさんの統率もなかなか取れず(これは完全に私のマネジメント力不足の問題だったが)、カメラマンさんに迷惑をおかけすることも多々あった。
最初の頃は毎日何かしらのトラブルがあり、もはや主な業務がお詫びとトラブル対応となっていた。
後々考えたら経営者として当たり前にぶち当たる壁ではあると思うが、モデルさんとの熱量の差もありなかなか思うように動いてくれないのと、時間に比例して降りかかってくるトラブル対応に追われ、パンクしかけて自然と涙が出てきた日もあった。(めっちゃ最初の頃だけね。)
当時、事業のことは親にも話していなかったので(1年くらいしてから話した)、相談できる人もいない。
そんな時は、ひたむきに頑張って成長を見せてくれるモデルの子たちの姿だけが心の支えでもあったりした。今も在籍してくれている第1期生メンバーの団結感は、共に苦境を乗り越えたからこその賜物でもあるのだろう。
時には、自分が不甲斐ないなと思うこともあった。
「とにかくこの撮影会を成長させたい」という思いで、小さいことも含めたら実はこれまでに数え切れないほどいろんな施策を行ってきた。(初期から知ってくださっている方は覚えてるかも)
今思えば、頓珍漢なことをやっていたかもしれない。
バカにされたこともあったかもしれない。
経営者として、未熟なところもあったかもしれない。(それは今もかもしれないけれど)
でも、あの時はあの時で、当時の自分なりにベストを尽くしていたつもりだった。
「撮影会」という業界自体が、怪しいイメージを持たれたり、いい加減だと思われてしまいがちなものだと分かっていたからこそ、少しでもそのイメージを払拭したい。そんな思いで、誠心誠意やってきた。
そうして今のmer撮影会がある。
当時はまさかここまでの規模の撮影会になり、展示とかもできて、関東関西他の地域からもカメラマンさんが来てくださるような撮影会になるなんて、夢にも思っていなかった。
このnoteに書いたことは、ここ1.2年でmer撮影会を知ってくださった方には想像もできないような実状だと思う。(逆にこうなったからこそ、今エピソードとして振り返れるわけですが)
でも、これが確かに私たちの歩んできた道だ。
そして、当時「少し見た目が良いこと」以外何の取り柄もなかった私自身は、あの頃と比べたら少しは、何かを持っているのではないかなと思う。
____というわけで、連載第3弾はここまでとなります。
今回はmer撮影会立ち上げ前後のリアルな私を振り返ってみました。
いかがでしたでしょうか?
次回、ついに最終回。
着々と道を歩んでいくチームに思う事と、これからについて。お楽しみに。
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