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【連載】ambivalence. ~vol.2~ ポートレートと出会う。

心のどこかで罪悪感を感じていたのか、感じてすらないのかは今となってはわからないが、頭の片隅にあるどこか後ろめたい気持ちを酒と一緒に飲み込んだ。大学時代の前半はほとんど省エネモードで過ごした。

ambivalence ~vol.1~ じきまる。がじきまる。になるまで。

▼前回の記事はこちら


女の子には誰しも、意味のあるような無いような事でひたすら悩んでしまう時期がある。(多分)

それは人間関係だったり、家族、恋人、容姿、仕事、将来について____などなど。
私もその例外ではなかった。

昔から協調性がなく、集団行動が苦手だった。
学校では付き合いの長い友人が数人いたが(その子たちとは今も仲良い)、女子特有のクラスのグループみたいなものにはなかなか馴染めなかった。
群れの中で、大多数の意見に合わせるということが出来なかった。とにかく、良くも悪くも、人と同じことが出来なかった。
こと"学校"という空間においては、「協調性こそが正義だ」と言わんばかりであり、自分の性格に生きづらさを感じることもあった。

____高校3年生の時。
InstagramをはじめとしたSNSが普及し”インフルエンサー”という言葉が出始めた時代。
当時、私にも推しの”インフルエンサー”がいた。
彼女の紡ぐ言葉一つひとつが、生きづらさを感じる私にとって、心の拠り所のようであり、救いの手だった。(ただ残念なのが、その方はもう芸能活動を引退してしまったようです)
彼女をSNS上で見つけた時、なんとなく「自分も誰かの明日を元気にできる存在になれたらいいな」そう思っていた。
それが、所謂”人前に出る仕事”に興味を持ち始めたきっかけである。

初めての”モデル”という経験。

大学1年生のある日、通学の途中にある京都の河原町を歩いていた時、若い女性の美容師さんに声をかけられた。
当時まだ、サロンモデル(=美容院の広告用モデル)は美容師さんが道端でハンティングする時代であった。

当時から、”モデル”という仕事に漠然と興味を持っていたわけなので、その場で連絡先を交換し、その美容室でサロンモデルをすることになった。

撮影の数日後、美容師さんから撮影した写真のデータをいただいたのだが、一番初めの感想としては自分の顔が不細工すぎてびっくりした。(当時今より○キロ太っていたんです。。。美容師さんは悪くないです。ごめんなさい。)
初めてのちゃんとした一眼カメラでの他撮り写真を見て驚愕するわけだが、それと同時に「もっとこういう角度にしたら良かったな」とか「ここのポーズはぎこちなく見えるな」とか、自分なりの反省点も見つけていった。

それを機に、これからもっとサロンモデルのお仕事をしたい、と思うようになり、モデル用のInstagramアカウントを開設する。
今思い返すと、この時の美容師さんとの出会いがその後の自分の人生を大きく変えたと思うと、なんとも感慨深い。

人生を大きく変える、一通のメッセージ。

サロンモデルとしてのInstagramアカウントを開設してから、平均して週に2.3件ほどお仕事を貰うようになっていた。
サロンモデルは平日早朝の撮影が多いので、大学に行くまでの時間を活用し、朝はサロン撮影、そこから直接大学に行き、講義が終わった後はアルバイトへ、という日々を送っていた。
この頃は忙しいとは言っても、モデルの仕事や学業において特に大きな目標もなく、ただただ毎日を消化していた。

そんなある日、InstagramのDMで、あまり見たことのない明らかにサロンモデルの依頼ではないメッセージが届く。
それが撮影会からのスカウトDMだった。

当時「ポートレート」の意味が何なのかも分からず(単純にバカ)、添付のサイトを見てみたものの、なんとも怪しそうなHPで「何を撮影するの?」と言った半信半疑な気持ちだった。
しかしそのサイトに偶然サロン撮影で何度かお会いしたことのあるモデルさんも所属しているような画像が載っており、とりあえず話だけでも聞いてみるか、ということで面談を受けることになった。
それがなかったらきっと今のじきまる。は存在していないので、あの時に顔見知りのモデルさんが載っていて良かったなと思う。

その後面談を受けとりあえず実在していることは分かったので(笑)、関西の某撮影会に所属することとなった。

ちょうど私がスカウトしてもらった時期は、一時的に過疎化していた撮影会の立て直しとしてモデルをたくさんスカウトしていたらしく、私の他にもほんの数名所属モデルがいた。

2018年5月。
じきまる。撮影会モデルとしてデビューする。

撮影会初出演の日。
撮影:なおさん (X: kota_t3)


”じきまる。”の由来

ポートレートモデルをこれから始めようと思う人が一番初めに通る道は、「活動名」である。

”じきまる。”は実は本名を少しもじっただけなのだが、元々は高校生の頃からハマっていたゲームのアカウント名だった。

やはりどこまで行っても考え方がへんてこりんな私は、「下の名前(本名)だと被る」「何か人目を引くような、世界中で誰とも被らない名前にしたい」と考えた。
「この活動も、まるでゲームのプレイヤー(=もう一人の自分)がストーリーを一つひとつ進めていくように、歩んでいきたい」と思ってこの名前にした。

デビュー後、私の狙いは見事的中。撮影してくださったカメラマンさんからはもれなく「なんで”じきまる。”なの?」と聞かれていた。

被写体を初めたての頃の私。

デビュー当初、撮影会としては一応「期待の新人枠」として推してもらっていたような気がする。
当時代表とは別でマネージャーさんのような方がいたのだが、その人が運用している撮影会アカウントには、常に私の写真ばかり上がっていた。

なぜなら、現場に私しかいないからだ。
(え?)

当時立て直し時期というのもあり、撮影会自体の知名度がなかなか無い。
昔から撮影会に通われていた、いわば”常連カメラマンさん”に支えられているような状況だった。

そんな中でも、エントリーすればありがたいことに満枠にはなり、デビュー2ヶ月目で組んでもらった「ソロ企画」は予約開始当日に完売した。

いわゆる”ロケットスタート”である。
(しかし今思い返すと、マネージャーさんが裏で事あるごとに私を売り込んでくださっていたり、一番初めに撮っていただいたカメラマンさんが知り合いの多い方だったり、そういったサポートありきでの結果だったと思う。今でも非常に感謝している。)

そんなサポートがあるともつゆ知らず、当時の私はどちらかというと「アルバイトの一環」という感覚であった。語弊がないように付け加えておきますが、「やる気がない」とはまったくの別物です。
とはいえそれほどの目標もなく、撮影会モデルに関しては「これまで行ったことのない場所にも行けて楽しい」「綺麗な写真を撮ってもらえて嬉しい」くらいに受け止めていた。
じきまる。、20歳。恐ろしい女だ。

何かを志す。

そんな私が「被写体の世界でもっともっと上を目指したい」と思うようになったのが、デビューしてから半年ほど経った頃である。
きっかけは特になく、とにかく時間があり、そしてとにかく”写ること”が楽しかったからだと思う。

その頃の私は何も持っていなかった。
これまでに「何か目標を決めて成し遂げた事」が一つもなかったから。
何か一つでも成し遂げたい、そう思った時に「被写体」という選択肢があった。

その頃から、撮影会に出演しながら自分自身で企画を考えることもしばしあった。
一番初めに考案したのが「バレエ企画」。
(のちにmer撮影会でも一度やりましたネ)

場所、衣装、コンセプト、など全て自分でプロデュースし、撮影会で実現してもらった。(よく考えたら企画についてはボランティアじゃねーかと思いながらも、一方で今思えばよくこんなに自由にやらせてもらえたなとも思う。)

初めてプロデュースした企画では、自分の想像していた世界が実現でき、カメラマンさんにも楽しんでもらえて、すごく感動したのを今でも覚えている。
同時に、これまでになかなかないスタイルだったのもあり、この頃から界隈で少し認知されてきたのではないかと勝手に記憶している。

撮影: Ryotaさん (X: @RYOTA0424_photo )


できないことが多すぎる私にとって、この世界はすごく居心地の良い世界だった。


写真集「じきまるのへや。」

2019年春。
学生生活最後の一年となる。
就職活動をぬるっと終えた私は、更なる計画を企てていた。

撮影いただいたお写真は基本的にSNSにアップして色んな人に見てもらうわけだが、「せっかく撮っていただいたお写真をスマホの画面だけで終わらせてしまうのは勿体無い」と考えた私は、紙媒体、いわば"自分だけの写真集"として世に出したいと思った。

「思い立ったらすでに行動」(そんな言葉はない)が人生におけるモットーなので、当時の社長にも承諾してもらい自費で製作、そして販売した。(原価はいただきました…すみません)
結果として、100人以上も手に取ってくださる方がいた。

企画からレイアウト、製作、中身のエッセイまで全て自分で手がけた。
カメラマンさんと作品を作り上げる情熱、そして自分のこだわりの詰まった一冊の写真集は、一生残る宝物だ。

私の中の"私"は、どこかへ置いてけぼりにされたような気分のままだった。"私"と言う入れ物をかぶった何かが勝手に動いていて、仕事をこなしていて。
なぜか違和感を覚える、私は何者なのだろうかと。
長い長い夢のようにも感じる。この夢は終わってしまうのだろうか。私は忘れられてしまうのだろうか。

喜び、憤り、悔しさ、優しさ、清々しさ、諦め。ありとあらゆる感情が、最上級に達した。日常の些細なことにエモーショナルになれる事は、私にとってはプラスでしかなかった。このパワーをぶつけるのは、レンズの向こうだったから。
私を、少しでも誰かの心の中で生かしたくて。
____シャッターが切られるたびに、訴えかけた。「入れ物」ではなく、確かにある私を。これだけは確かな真実だと。これは夢ではないのだ、と。

引用:『じきまるのへや。(1)』より


個展「じきまるのへや。」

実は当時の私は、社会人になるのを機に、被写体活動を終えようと思っていた。____

第一作目の写真集を出してから、私を取り巻く環境が少しずつ変わっていった。

時々、最初の頃何を思ってこの活動に身を閉じていたのか、わからなくなってしまう時があった。「当たり前」で済まされる物事の基準に惑わされることもあった。

そんな中、次なる目標として、自分の携わった作品たちを紙媒体の次は「写真展」という形で空間に広げていきたいと思った。

一瞬で過ぎていくこの瞬間に、爪痕を残したくて。
過ぎていく夏のスピードに追い越されないように、必死だった。____

2019年11月。
個展「じきまるのへや。」開催。

7人のカメラマンさんと作り上げる空間に初めて立ったとき、言葉にできない感動が込み上げた。

その空間にいると、まるで撮影した時の空気感が蘇るような。写真に閉じ込めていた一つ一つの瞬間を、そのまま感じれるような気持ちになった。

当時珍しかったモデル主催の個展。
中崎町の小さなギャラリーには、三日間で300人以上もの方が訪れ、ありがたい事に土日は待ちの行列ができた。
中には、通りがかりで入ってくれた人もいた。

この経験は、私にとって何にも変えがたい、かけがえのない一生の宝物です。協力していただいたカメラマンさんへは、いつまでも感謝しています。

そんなこんなで、2019年12月31日をもって約一年半の活動を一旦休止する。
ここまででたったの一年半。長いようで短い時間。
それはもう本当に、一瞬で駆け抜けた。


____というわけで、今回はプレイヤー時代を振り返ってみました。
この頃から知ってくださっていた人もいるかもしれませんが、意外な事実もあったかも。
皆さまいかがでしたでしょうか?

次回第3話は、社会人になったじきまる。の話です。
お楽しみに。

「じきまる。」として過ごす時間が多かった、この1年半。色んな出会いがあって。
嬉しかったことも、苦しかったことも。
報われたことも、報われなかったことも。
全部もし「じきまる。」じゃなかったら、経験できていなかったこと。
目は覚めているのに、まるで長い長い夢を見ているようで。

この瞬間、時間を共にしていること。この写真の中に紛れもなく私が存在していること。
その事実は変わらないから。
一度きりの瞬間を大切にしていきたいな。同じ今を生きたことを、忘れないように。

引用:『じきまるのへや。(2)』より
撮影会最後のソロ企画の日。
撮影: あおいとりさん (X: @bluebird_7J )

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