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【連載】ambivalence. ~vol.4~ らしさって一体何?(最終回)

「撮影会」という業界自体が、怪しいイメージを持たれたり、いい加減だと思われてしまいがちなものだと分かっていたからこそ、少しでもそのイメージを払拭したい。そんな思いで、誠心誠意やってきた。

"ambivalence. ~vol.3~ あの頃の私は、何も持っていなかった。"より

▼前回の記事はこちら

皆さま、お久しぶりです。
お変わりなくお過ごしですか?
こちらはやっと、日本時間を時差から逆算することにに慣れてきました。笑


連載『ambivalence』いよいよ最終回。
今回は、これまでの一年____皆さんが見ていなかった側面を、振り返っていきたいと思います。


この一年間は、mer撮影会にとって大きな過渡期であった。

____2023年4月。
mer撮影会主催のグループ展、『mer展』開催。個展の経験はあったものの、ここまで大規模な展示の主催は初であった。

これまでいくつもの挑戦をしてきたが、新しい事に挑戦するにあたって、毎回両極端な二つの感情が付き纏う。

一つは、その挑戦を乗り越えた時の感動や達成感に対する期待。
そして、もう一つは「結果を出せなかったらどうしよう」という自分に対する不安である。

もちろん「結果が全て」ではないが、「結果」は自分の努力が足りているかを表す指標であり、常に意識しなければならないと思っている。____

____桜が散る頃。6日間の展示。
会期中、約500人もの方が足を運んでくださった。
撮影会を立ち上げてから一つの目標としていた「展示開催」は、大成功の元に終わった。

mer展以降、展示による影響だったりモデルさんが急激に増えたりで、「mer撮影会」は一段と勢力を増していったような気がする。(気がする)

一方、私はというと、これまで目標にしてきた事の中で最も大きなイベントが終わってしまい、次は何を目標とすれば良いのか分からない時期が続いた。
きっとそれは、ここまで大きくなったmer撮影会に対して「失敗するリスクのある目標は立てたくない」という思いが強くなってしまったからだと思う。

イマイチはっきりとした目標が無い中で、私を支え続けたものは
「もっと成果を出したいし、そう見せたい」
「もっとカリスマ的な存在になりたい」
という意地や見栄だった。

きっとこの一年間は、そんな思いで走り抜けてきたと思う。


『経営者は孤独』とは、まさにその通りである。

____ここ一年、何事も「経営者目線」で考える事が多くなった。

ちなみに私の経歴をおさらいすると、
・撮影会モデル:1年半
・ゆるゆるフリーランス(?):1年
・撮影会代表:もうすぐ4年目に突入
といった感じである。

つまり被写体人生の中で、すでに『mer撮影会代表のじきまる。』が半分以上を占めるようになった。(驚き)

そう思えば「プレイヤーとして自分が有名になりたい」という気持ちよりも、
「所属モデルを有名にしたい」とか「撮影会をもっと大きくしたい」という気持ちの方が大きくなるのは、至極当然のことである。
(もちろん、前者の気持ちも忘れてはいない)

所属してくれているモデルさんの育成にあたって、一人ひとりに合った育成をする事は必要不可欠だ。
人それぞれモチベーションを感じるポイントだったり、モデル活動に対する立ち位置も違う。

この子は細かく注意した方が伸びるのか。
逆に、とにかく褒めた方が伸びるのか。
それも人それぞれだが、もちろん何が正解かなんて誰かが教えてくれるものではない。

だからとにかく観察して、考えて、それに合わせた自分を作っていく。

この事業をやっていく中で、裏切られたり、心無い事を言われたりしたこともあった。

見えているところでも見えてないところでも色々あったが、それ自体については正直そこまで何とも思わない。
ただ、日常的にそういった事がある中で、自分の奥底にある本音は、誰にも話せない。

私は、組織の代表として「強く」いなければいけないから。
それが求められる姿だから。たとえ「偽りの自分」になってでも。

だからこの気持ちは誰にも分からない。


『与えられたければ、まずは自分が与えるべきだ。』


私は中学高校とキリスト教系の学校だったのだが、聖書の言葉で心に残っている章がある。

『求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん』

新訳聖書「マタイによる福音書」より


この節の意味としては「物事を成就するためには、与えられるのを待つのではなく、みずから進んで求める姿勢が大事である」ということを示している。

この聖書とはちょっと趣旨が違うので、逆の解釈にもなっていないのだが、私がいつも大切にしている事がある。

「与えられる事ばかり考えていては、結果として何も得られない事が多い。与えられるためには、自分が何かを与える事が必要である。」

損得ばかりというわけではないが、人は無意識的に何事もギブアンドテイクで成り立っていると思う。(特に仕事においては。)

これを自分に置き換えてみると。

モデルとしては、クオリティの高い被写体力を。
先輩としては、後輩が次に繋がる機会を。
撮影会としては、より良いサービスを。

仕事とは、「価値を提供する事」だと誰か偉い人が言っていた。

じゃあ、「価値」って何なのか?

これも正解があるようで正解がない。

ここ最近考えていた事なのだが「ポートレート」という業界は、あまりにも色んな "ものさし" が複雑に入り組んでいると思う。

例えばモデルをする側にしても、
ただひたすらに表現をするお仕事として取り組んでいる人もいれば、割の良いアルバイト感覚の人もいるだろう。自分の好きな写真が撮りたい、趣味の延長の人だっている。
あるいは、俗にいう「パパ活」みたいな感覚で取り組んでいる人もいるかもしれない。

この時点で、ひとくくりに「ポートレートモデル」と言っても各々グラデーションがある。

一方で、撮影者側にしても
自分の満足する写真を追究したい人もいれば、誰かに認めてほしいという気持ちで撮っている人もいる。中には、楽しくお話ししながら撮りたいと思う人もいるだろう。

ここには、正解も間違いもない。

ただ、このように一側面だけ見ても様々な捉え方を持つ人がいる中で、さらにそれらが交差して、入り組んでいる。
これらに歪みが生じた時に、揉め事が起きる。

捉え方の数だけ、提供する価値が異なる。

自分の提供したい価値は何なのか?

「誰かの心に少しでも残したい。私の生きた証を。」

私の与えられる価値。
それは、あなたにとって何にも変えがたい "景色"であったら良いなと思う。

きっと、それが私の答えだ。


『じきまる。第2章』、完結。


プレイヤーとしての道を切り拓いた一年半。
これが『じきまる。第1章』だとすると、
撮影会代表として走り抜けた三年間は "第2章" 。

しばらくの間、『じきまる。』はお休みです。

(もちろん撮影会の運営はしますし、たまにちょろっと出演する予定です)

『じきまる。第2章』と携わってくれたあなたには、何か与えられただろうか。
私は、沢山の人に沢山のことを与えてもらったと思う。

____ambivalence___二面性。

このエッセイで見せた私は、あなたが思うような「強くて無敵のじきまる。」ではなかったと思う。

でも、それも含めて私だ。
そんな自分を心の内に秘めながら、また求められる姿に戻る。

第2章までで見た、たくさんの景色。
次はどんな景色が見れるかな。


しばらく先の "第3章" は、実は何となくビジョンが見えていたりする。

でもその内容はまだヒミツです。

いつだって、"神出鬼没" に訪れるのです。

photo: コハラタケルさん

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