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買ってきた樹木や草花を植えることに感じる罪悪感

森のなかのような鬱蒼と木が茂った場所に住んでいる。
樹木や草の生命力はすごいもので、冬は氷点下10度にもなるのに翌年には元気な姿を見せるし、秋に地面に落ちた種からもどんどん幼木が生えてくる。
もちろんそんな寒い土地で日影も多いので、全く根付かないものも多い。
ホームセンターなどでこの花を見たいとか、この木を大きくなるまで育ててみたいと思っても、狭き門である。
バラは何度植えても3年も続けば良い方で、花もなかなか咲かない。
寒くてもラベンダーならと植えてもダメだった。

でもいつしか考えが変わった。

黙っていてもどんどん生い茂っていく植物というのは、この土地にあっているから。
それに、種を飛ばし芽を出しても日当たりが悪いと生き残れない。
生存競争だ。ライバルはとても多い。
そんな土地なのに、買って来た余所者を植えたら失礼ではないか。
植えても生き残れない可能性が高いのに、根付かせようというのは無謀ではないか。
それにうまく育ったとしても、その植物が入った風景というのは自然ではない。
人間が勝手に作り出した結果だ。
この森の中に住む動物たちにも、もしかしたら役に立たず、あるいは好きな樹木の居場所を奪いようなこともあって迷惑かもしれない。
日本には植物の外来種がたくさん入って来て、在来種の危機を招くこともある。
それと同じようなことを自分でやってしまってはいないのだろうか。
そういうようなことを考えるようになって、今では買ってきて植えるようなことはしていない。
近所に住む友人から分けてもらった土着の植物を移植するくらい。
モミジもたくさん生えてくる。
間引かないと大変なことになるので心苦しいが刈り取るようなことをしている。
育ちそうな幼木は、大きく育つと庭の紅葉をより楽しくしてくれそうな場所に植え替えている。
ヤマボウシが最初にあったのだけど、日当たりのせいか元気がない。
でも最近気が付いた。
ヤマボウシの幼木が何本か生えているのだ。
モミジの移植の次は、どこか日当たりの良い場所にヤマボウシを移植しようと考えている。

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