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3.11に起こったことは忘れてはならない

2011年3日11日、東京の事務所にいました。5階建てのビルの3階だったが何かにつかまらなければ立っていられないほどだった。道路にいる人を見ると、汐留の高層ビルの方を指差して、大きく揺れる様に驚いていた。
テレビがライブで伝える津波の映像は、遠く離れた者には非現実的に見えたが、停電でテレビからの情報を得られていないであろう肉親への連絡という行動を駆り立てるには十分だった。
公共交通が麻痺したため帰宅困難者の仲間入りになってしまったが、徒歩で20キロ余り歩いて帰ることにした。銀座の街は信じられないほどの人で溢れかえって、道路の車も動けない。
会社への出社もできず自宅待機していると福島第一原発での爆発を知り、とりあえず避難した。まだ東日本大震災で起こったことの全容は分かっていなかった。

日本国中でいろいろな場所でこの大災害を経験している。
東北に住んでいなくても、私のように首都圏に住んでいても人生に一度ぐらいであろう、一度だけにして欲しい経験をしてさまざまな体験をしたはずだ。できれば全てを記録し後世に残し、次の世代がまた経験しそうな大災害に役立ててほしい。

3.11の後、“てんでんこ”という言葉がよく取り上げられていた。

津波てんでんこは、津波からの避難についての標語ないしは合い言葉である。 「てんでん」とは、「てんでに」や「てんでんばらばらに」という意味で、「津波てんでんこ」とは、薄情なようではあっても、「てんでんばらばらに急いで早く逃げよ」という、津波から逃れるための教えである。

wikipedia

つい先日、高齢者が南海地震の津波から避難する訓練の様子がテレビで紹介されていた。寝室から「玄関まで1分30秒でしたね」という声に唖然。南海地震の津波は数分で到達するとも言われているのにだ。何かが違ってないか?3.11から早12年。机上のシミュレーションありきになってしまい、人々が経験したことが役立ってないのではないだろうか。

災害は訪れるまで自分には関係ないことだと思ってる。誰もがそうだ。
でも訪れてみるといかに大変なことか気がつく。
いつ訪れるかもしれないけど、ありきたりだが、いつ訪れてもいいように毎日の生活で考えてみるということが準備に役立つであろう。

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