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突然の辞令


「異動だってさ。」

突然の辞令だった。

8人もの人間が収容できる広い会議室。
その会議室にある長い机をはさみ、わたしと部長は向かい合っていた。
2人で使うには広すぎるシンとした会議室に部長の声は吸い込まれるように消えていった。

…突然の辞令という表し方は間違っているかもしれない。
その可能性が十分にあったことについて、
わたしはずっと前から認識していたのだから。

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GW明け最初の出勤日。

月初の業務、かつ長期休暇で溜まった仕事など
たくさんの仕事が私を待っていた。
デスクには請求書が山のように積まれており、
その山を切り崩さねば本来の仕事に戻れない。

しかし、現在の部署に配属されてから約2年が経った今、
仕事のやり方を覚えてきたということもあり、
次々とこなしていった。

普段なら処理ミスであったり、
やらなければならない仕事が抜けていたりと、
例えるならば山を片手スコップでチビチビと切り崩していたわたしだったが、この日は珍しく調子がよかった。
例えるならショベルカーくらいの処理能力だ。

誰しもが一度は憧れる「キャリアウーマン」という言葉。
何を基準にその称号を与えられるのかはわからないが、
今日のわたしはキャリアウーマンの肩書きを
もらえるのではないかと自負するくらい、
周りがよく見え、業務効率がそれはそれは素晴らしかった。

「名刺の肩書きに「キャリアウーマン」と書いたらとても面白いな、、、格好悪いけど。」
などと雑念に思いを馳せていたわたしに、佐々木、別名"部長"から呼び出しがあった。

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「まさか、、、異動ですか?」

会議室に着くなりわたしはそう聞いた。
その言葉を聞いた部長は目元をクシャッとさせて口角はにやっと片方だけあげていた。

部長は身長は高く、ややふっくらとした体型の50歳くらいの男性である。
髭は薄く、会話の語尾が伸びるのが特徴であり、部長、というよりはお父さんという言葉がよく似合う。
髪型もパリッとしているというよりはふにゃっとしており所々隙を見せていることが多い。
その雰囲気、その風貌からか多くの人から慕われる我が部署の長である。 

性格においても仕事はバリバリこなすが、物言いが柔らかく、たまに抜けているところがありとにかく接しやすい。
食に関してはさまざまな伝説を残しており
(ダイエット中でも糖質半分のカップラーメンは二つ食べることができるから部員全員にオススメしてくるなど)、ここだけの話、部内ではマスコットキャラクターと呼ばれている。
そういうわたしも例外なくこの佐々木部長が人として大好きである。

そんな佐々木部長から個人で呼び出される時は決まってこの冗談から会話が始まる。
わたしの会社は入社して間もない社員の異動が多い。
若い人間の異動が多いことは決して偶然ではなく、いろいろな部署を経験し、会社全体を把握できるようにと会社の方針として定められている。
わたし自身たくさんの職業からこの会社を選んだのも、転勤を通じて様々な地域で働くことに魅力を感じたためだ。

「なんだよ〜そんなに異動したいのか?」

笑って言う部長の返事をいえいえ、と笑顔で返した。
そして話はGW前に問題となった案件へと変わった。
「今回呼び出したのは案件の進捗状況の確認、今後の方針についての確認のためだよ〜」と告げられ、コロナ対策のため開けっ放しとなった会議室で10分程度、わたしは部長と情報共有を行なった。


「じゃあ、これから会議があるから。」

実際の進め方については課長と相談して進めるように、とそう指示を残し部長は足早にさっていった。

余談だが部長は歩き方も可愛い。
ペンギンのように歩く。
他に説明できる言葉はないのでご想像にお任せする。

仕事の大まかな方針が決まり安堵したのも束の間、
わたしは自身のデスクに戻り締め切り間近の業務を急いだ。
締め切りの正午まで後1時間。
調子が良すぎるわたしなら余裕で終わるなと確信を持ちながら仕事へ戻った。

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時計が11時55分を示した時、
正午を知らせるチャイムが鳴った。
初めは正しい時間になっていたチャイムだが、いつからか日に日に少しずつ早くなり、今では出社時や昼休み、退勤時も等しく5分早くチャイムが鳴る。

原因はわからない。
直し方もわからない。
きっとこの部屋にいる誰もが原因も直し方もわからないはずだ。

予想通り月初業務は締め切り前にきちんと終わり、待ちに待ったお昼休み。
わたしはチャイムからなり終わると同時に椅子から立ち上がった。

配属当初はチャイムがなっても立ち上がらない人が多く、席を立つタイミングがわからず、恐る恐る立ち上がっていた。
しかし最近ある事実が判明した。
皆、席を立たないのは仕事をしているわけではなかった。
自作のお弁当を食べる人が多かったのである。

仕事もだが慣れてくるとやはり周りがよく見える。



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お昼ご飯は別部署の同期と食べることが多い。
この同期、名を「ゆうこ」というのだが、その名を表すかのように本当に優しい、一緒にいて大変居心地がいい女性である。
たとえ「女神」という名前であっても決して名前負けしないだろう。
もちろん美貌も持ち合わせている。

そんなゆうことは仕事の話だけではなくプライベートの話もよくする。
最近は新発売されたゲームの話だったり、わたしの旦那さんのことであったり、ゆうこが応援しているアイドルの話であったり話題は様々である。
この昼休みの1時間がわたしには何よりも楽しみである。

今日のお昼は珍しく会社の話、もっと詳細にいうと異動の話だった。
わたしの同期は全部で15人。
4月付人事で異動した同期がが2人いたことからその会話は始まった。
同期が数人異動し始めたということは、
これから多くの同期がどんどん異動するであろうことが予想される。
もちろん我々も例外ではない。

そのため異動したい部署の話や地域の話に最近は花が咲いた。
移動先の候補が多い分、なかなか話がつきないため、大抵いつも話途中で昼休みが終わってしまう。

「ゆうこはどこへでもいけるって言われたら次はどこに行きたい?」

わたしの問いにゆうこは苦笑いしながら首を横に振る。

「車運転するの自信ないから北海道とかは避けたい…
でも営業になって直接お客様と話すことは魅力的ではあるんだよね!」

「運転自信ないのわかる。
ゆうこは話してて心地よいからお客さんと仲良く慣れそうだよねー。
でも商品をバリバリ売る姿はちょっと想像できないかも。」

「たしかに売るの自信ないや。
そう思うと品質管理部とか気になるよね、
本社勤務だから異動しなくていいし都会だし。」

わたしとゆうこは現在本社で仕事をしている。
ゆうこは東京が地元でもあるため地方への異動は避けたいと聞いているが、一方でわたしは父親の都合で転勤族であったこともあり各地への異動について抵抗がない。
ただやっと仕事に慣れてきた今、
色々と工夫して仕事ができるようになるためもう少しこの部署にいることができればいいなと考えていた。

「わたしは今の仕事にやっと慣れてきたから来年な秋くらいに異動だといいな、と願ってるよ。」

「だよね!もう少しだけ猶予欲しい!ベテランになって次に行きたい。」



そんなこんな話しているうちに時計の長針は50分を指していた。
わたしとゆうこは「あと5分しかない!!!」とガサガサとコンビニ弁当を片付ける。

給湯室のゴミ箱へ寄ってからゆうこは20階、わたしは10階の自分の部署へ戻る。
着席したと同時に12時55分のチャイムがなり危ない危ないと冷や汗がでた。

チャイムの音が消えるとともに気持ちは仕事モードに切り替わり、自然と背筋が伸びた。
わたしは先ほど部長に指摘された案件について仕事を進めた。

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今日は本当に調子が良い。

午前中に部長と方針を決めた案件について
わたしは課長と打ち合わせができる程度まで進めることができたのだ。
あまりにもうまくことが進みすぎ、顔がよほどにやけていたのか、何かいいことがあったのか?と課長に聞かれてしまうほどだった。

おうちに帰ると料理を作って旦那がおかえりって言ってくれるんです、と新婚にありがちな惚気で適当にごまかし、わたしは課長と打ち合わせを行った。
その後、打ち合わせ内容を課長とともに部長へ共有し、後は相手先からの返答待ちの状態となった。


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佐々木部長は打ち合わせ後、にこにこした顔でわたしを手招きした。
あまりの仕事の手際の良さに褒められるのでは!?と思いながらわたしは笑顔で部長へついていった。

ついた場所は会社で一番広い会議室。
後方で会議室のドアがパタン、と閉じる。


「いや〜、成長したね、ほんとに」

部長は笑顔だった顔をさらにくしゃくしゃにしながら言った。
褒められ慣れていないわたしは部長の笑顔につられながら、

「いやー、これからもっと頑張りますよ」

と、照れながらそう伝えた。




「異動だってさ。」

「…ん?」


途端、先ほどまで機能していたはずの表情筋が動かなくなった。
ひきつる、という言葉が正しいのかもしれない。

「いどう?」

「異動だってさ。」

「異動」と、そう発した部長の顔はわたしを褒めた時と変わらない笑顔だったため聞き間違いかと思った。
が、聞き間違えではなかった。

「何月付ですか…?」
「七月一日付。」

「どこですか?」
「仙台。」

途端、頭の中に仕事のこと、取引先のこと、次の配属のこと、そして旦那のことが一気に頭の中を駆け巡った。
心臓はバクバクと動いているのに頭はふわふわと実感が湧かなかった。

いくらなんでも早すぎる。
そもそも七月人事なんて昇格ばかりで異動なんてこれまでほとんど聞いたことがない。

そしてわたしは大きな問題があることに気がついた。

「…部長。」
「ん?」
部長は小首を傾げてこちらを見ている。

「以前からお伝えしていたかと思いますが…」
「うん」


「わたし9月9日に東京で結婚式を控えているんですけど…。」

「うん。
とりあえず一度旦那さんと話してみて。
…まあ相談には乗るから。」




旦那と結婚して六ヶ月。
結婚式まであと四ヶ月。



わたしと旦那様の波瀾万丈な人生はまだ始まったばかり。



続く。

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