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13年前の話

 ファミリーマートに138円の「ぎっしりコーンパン」を買いに行ったついでに近所を少し歩いた。天気がよく風が心地よかった。しばらく経ってから周りにある家がどれも知らない家であることに気がついた。去年の4月に越してきたばかりだから知らないのは当たり前だが「そういえばどれも知らない家だ」ということを改めて意識したのだ。
 知らない家に囲まれた知らない道。どんな人が住んでいて、どんな生活をしているのか。どの家がいつからあり、どんな家が前まであったのか私は知らない。知らない人たちが新しい家を造っていた。建築途中の家がいくつもあった。4月は新居が増えるのだろうかと思った。
 そして、私は13年前の話をしたくなった。

 13年前の話。
 13年前、私は12歳で小学六年生だった。自転車に乗るのが好きで、暇があれば自転車に乗ってどこを目指すでもなく漕ぎ続けた。私は少年野球クラブに所属しており、土日は必ず試合が組まれていていたが、平日に二日くらいは自由な午後があった。小学六年生の時はキャプテンを任されていたが、クラブで一番と言っていいほどの野球嫌いだった私にとって、野球のことを考えず、ただ自転車を漕ぎ続けるだけの時間はとても幸福だった。
 学校で指定されている校区というものはあったけれど、私の両親は子供たちの行動にそれほど制限をかけなかったので、無事に帰って来さえすればどこまででも行くことができた。三人兄弟だったことも両親が私たちを自由にさせていた要素かもしれない。ちなみに私は次男だ。

 13年前の6月のはじめ頃だったと思う。
 雲がない空で陽が照っていて暖かかった。静かな優しい風が吹いていて、町中が木のいい香りに包まれていた。札幌の晴れた6月の日は世界で一番気持ちのいい日なのではないかと思った。学校から帰った私は荷物を放って、そのまま自転車に乗ることにした。玄関に置いてある箱買いのスポーツドリンクを一本自転車のカゴに入れた。縁石やアスファルトのわずかな段差を越えるたびに自転車が揺れて、カゴの中でペットボトルが飛び跳ねた。それを見るのがおもしろくて、わざと段差のあるところを選んで走った。ときどき勢い余ってカゴから飛び出したペットボトルが、アスファルに打ち付けられてバウンドしながら後方に転がって行った。拾って見るとキャップやパッケージの角が派手に擦り剥けていておもしろかった。
 考えると、もう何年もその現象を体験していない。
 そのとき乗っていたママチャリは6段階の変速ギアが付いていたので、私は意味もなくそれを切り替えながら走った(それはのちにイトーヨーカ堂で盗まれることになる。中学生くらいの男女が二人乗りで去っていく後ろ姿が今でも忘れられない。顔は見えなかったが彼らは楽しそうに笑っていたのではないかと思う。彼らはもう私の自転車を盗んだことなど憶えていないかもしれない)。
 Tシャツの隙間から入ってくる風が気持ちよかった。学校、兄弟、野球。自転車に乗っているときだけは、小学六年生の私を取り巻く些細な問題がまったく存在しないもののように思えた。私は私の漕ぎたい方向に向かって進みたいだけ自転車を漕げばよかった。どの道を行っても行かなくても、どの角を曲がっても曲がらなくてもよかった。私はどこまでも漕ぎ続けられた。そして実際にどこまでも漕ぎ続けた(小六の男子がママチャリを使って行ける程度で)。
 そのときはどれだけ進んだだろうか。案外、20分くらいだったかもしれないし1時間近く漕いだのかもしれない。とにかく私は「ここははじめて来たんじゃないか」と思う場所まで来ていた。
 あてもなく自転車を漕いだり、長時間散歩をする習慣がある人なら分かると思うが、たとえ車や電車で通ったことのある町や道だったとしても、自転車や徒歩などの「自力ベース」の目線や速度でそれを見た場合、そこがまったく未知の世界に見えることがある。ある種のゾーンに入っているとも言えるが、そこに来るまでに見た景色や、その道中で考えていたこと、考えていなかったことが作用して「はじめて来る感」や「なんだここ感」を体験することがある。
 もちろん、そのときは私はまだ12歳で頭のほうが未熟だったこともあるだろうし、普通に知らない場所だったかもしれない。しかし、この現象に年齢はあまり関係がない。私は20歳まで実家に住んでいたが、実家の周りでもときどきそういう不思議な現象が起こっていた。
 札幌に「町をただ歩き続ける」という行為を共にする親友がいる。夜から次の日の朝まで歩くこともあった。彼と喋りながら歩いていれば10kmでも15kmでも簡単に歩けた。
 ある夜、彼と“まったく見知った”地元を歩いているとき、突然、私たちの目の前に今まで一度も見たことのないセブンイレブンが現れた。そして辺りを見回すと、そこはまったく見たことのない町だった。私たちは息を飲んだ「一体ここはどこだ」と。そのときの興奮を超えるものは未だないかもしれない。私たちは「ここどこ!?」と実際に口に出しながらそのセブンイレブンに近づいて行った。
 その未知のセブンイレブンが我々を一体どこに誘ってくれるのかと期待した。そのセブンイレブンは私たちを現実世界から解放するべく現れたはずだった。しかし、事態はすぐさま収束した。店の正面に出るとそこはもう何百回も通ったであろう普通の地元だったのだ。よく見た道によく見た駐車場があるだけだった。自分たちが来た道を振り返って見ても、そこはその角からよく見ていたいつもの道に過ぎなかった。
 しかし、束の間ではあったが、私たちはこの世界の隙間のようなところに入り込んだような感覚を味わった。私たちはその感覚を確かに共有した。そして私は知った。
 今見えている世界、今感じ取れている世界、今捉えられている世界はほんの一部に過ぎないのだということを。今日見えていたものが明日も同じように見えるとは限らない。
 もちろん、一瞬だけ町が物理的に姿を変え一瞬で元に戻るなんてことは限りなく100%に近く有り得ない。私たちはそのとき知らないセブンイレブンを見た。実際それは知っていたセブンイレブンだったが、私たちが知らないと感じていた間だけは、そのセブンイレブンは知らないセブンイレブンとしてこの世界に確実に存在していた。
 そして世界とは頭のことである(もしあなたが今この文章を見ることができているのなら、その文章が一体どこにあるのかを考えてみるといい。“目を瞑ると文章はない。目を開けると文章がある”)。

 話を13年前に戻す。
 とにかく自転車を漕ぎ続けた私がたどり着いたのは、見知らぬ道で構成された見知らぬ町だった。私はその未知さと未知さに巻き込まれている自分の存在の自由さに興奮を覚えた。私は自転車を降りて、ゆっくりとその町を見物することにした。知らない家に囲まれた知らない道。玄関先に廃材が積み上げれている小さな日本家屋があり、木でできた柵の隙間から黒い犬がこちらを覗いていた。屈んで犬の目線に入ると私たちは見つめ合い、どちらが先に目線を外すかの我慢比べになった。犬がぷいと横を向き私が勝った。
 どのポストにもチラシが大量に詰め込まれた古いアパートがあった。空を見上げると、遠くの方に白い鉄塔と黒い煙が出続けている煙突が並んでいた。銭湯かゴミ処理場か正体はよく分からなかった。黄色いタイヤの珍しい自転車が潰れて棄ててあった。新築と思われる綺麗な家のブロック塀に飲みかけの微糖のコーヒーのペットボトルが置いてあった。取り壊し作業中の家があり、それを黙って見ているおばさんがいた。個人経営みたいな格式ばった蕎麦屋があった。ドアが開けっぱなしの汚い定食屋があって、壁に取り付けられた板に乗ったテレビが覗き込めた。
 どれも私が人生で初めて見る知らないものだった。似たようなものは日本中どこにでもあるだろうが、それぞれの個体はそのときのそこにしかなかった。そして、そのときの私自身もそのときのその場所にしかいなかった。私がそこにいたので私が知らないものもそこに存在することができていた。
 そのときの私の存在は何者にも脅かすことができなかった。数学の宿題にも、些細なことが原因の兄弟喧嘩にも、重くて分厚い煩わしいお面やプロテクターやレガースにも(野球で捕手が身に着ける防具)邪魔される隙がなかった。
 私は何も考えないでよかった。そして、誰かが私のことを考えてくれることを望みもしなかった。誰かに何かを強制されることもなければ、誰かに何かを強制することもない。誰の話にも笑わなくていいし、誰かを笑わせようとしなくてもいい。
 私がただそこにいて、それだけだった。
 そんなふうに歩いていると、ある角を曲がったところに公園が現れた。何が現れてもおかしくない状況で不意に現れる公園。大きさは50m×30mくらいで、札幌の片田舎の公園としてはそれほど大きいサイズではない。どの辺から見ても一度に全体を見渡せるくらいの大きさだった。
 そして、私のいた場所の反対側にある一つの遊具に目がとまった。青い色の見たことのない遊具だった。
 くねくねと湾曲した登り棒のような物が2本立っていて、その間に鉄のチェーンのようなものが何本か繋がれている。左右の棒が湾曲していることを除けば、ただの梯子のような簡単な構造だった。他にもいくつか遊具があったと思うが、恐らくその青いやつ以外は普通の遊具だったと思う。とにかくその青いやつは「知らない町にある知らない公園にある知らない遊具」だったとしても、あまりにも「知らなさ」過ぎた。私はその青いやつに魅了されてしまった。それは親友と見知った町で知らないセブンイレブンを見たときに味わった感覚の原体験だったと思う。
 私は公園に入り、その青いやつのそばに行った。幅は子供ひとりが登れるくらいで、遠くから見るより高さはなかった。恐らく2mもないくらいだったんじゃないかと思う。大抵、遊具というものはペンキで塗装されているので、子供たちが遊んだり風や雨に打たれるうちに劣化していき、部分的に剥がれたり錆びたりしているものだが、その青いやつはまだ新しいのか、そういった劣化は一切見られなかった。チェーンもムラのない銀色で太陽に照らされキラキラと光っているように見えた。ちゃんと確認はしなかったので、これはそのときの印象に過ぎないが、その青いやつ以外の遊具はどれも古いもののように見えたし、雑草なんかもたくさん生えていてあまり手入れがされていないような感じだった。田舎の公園なんてほとんどそんな感じではあるのだが、その青いやつだけがものすごく新しい物に見えたというのが、私にはとても奇妙に思えた。
 その青いやつを登ってみようとしたとき、左の方から犬を連れた女の子二人がやって来た。小さい子と大きい子。小4と中2くらいだった。大きい方が犬のリードを持っていた。犬種はよく分からなかったがデカくておとなしそうな犬だった。推測だが二人は姉妹だったのだろう。私は一人で遊んでいることが恥ずかしくなり、登ろうとしていた青いやつのチェーンから手を離した。そして青いやつの斜め後ろにあるベンチの横に自転車を停めて、ベンチに座った。二人は犬が公園内のあちこちを点検するのに付いて回りながら、少しずつ私の方に近づいて来た。
 そして二人は青いやつのところまで来ると、妹が慣れた手つきでそれを登り始めた。犬を含め彼女らは私のことなど視界にも入れていないようだった。姉は妹が青いやつを登ったり降りたりするのを、犬と一緒にじっと見ていた。妹は片手を離してぶらんとしたり、3段目くらいからジャンプしたりして一人で楽しんでいた。
 それが少しのあいだ続いて、私は妙なことに気がついた。
 視界から入る情報に対して公園が静かすぎたのだ。姉妹が公園にやって来て元気な妹が青いやつを登り降りしている。姉と犬はそれを見ている。普通、子供二人と犬が公園に来たらもっと騒がしくなるはずではないだろうか。
 そして私は違和感の正体に気がついた。彼女らは一切会話をしていなかったのだ。公園に入って来たところからどちらの声も聞いていない。そして私は、青いやつで遊んでいる妹の耳に何かが装着されているのを見つけた。
 それは補聴器だった。
 当時、私の知識がどれくらいのものだったかは忘れてしまったが、補聴器くらいは知っていた。おそらく、あの妹は耳が聞こえにくいのだということは分かった。姉もそうなのだろうかと思って姉の耳を見てみたが、髪の毛に隠れていたので分からなかった。耳が聞こえなくても、運動をしてれば口から自然に音が出るものではないかと思ったが、そのときの二人はどちらも声を出していなかった。手話をしている様子もなかった。妹がチェーンを触ったり地面に降りる音だけが公園にかすかに響くだけだった。彼女らが声を出して好き勝手に遊んでくれていれば、私と彼女らがその公園における別要素というふうに思えたのだろうが、その沈黙によって、私は彼女らと同じ物語の登場人物になっているような気がした。私は「妹を見る姉と犬という構図を見る少年」の役を担っていたのだ。
 しばらくの間、妹は青いやつを楽しんでいた。そして姉に満足そうな笑顔を見せると、彼女らはさっさと公園から出ていってしまった。

 私はそのとき初めて耳が聞こえにくい/聞こえない人を見たと思う。そして私は「耳が聞こえない」世界はどういう感じなのだろうと考えた。そういうことを考えるのはそれがはじめてだったかもしれない。
 私は生まれつき耳が聞こえていた。つまり音というものの存在を知ってきたわけだが、耳が聞こえないとすると音そのものが世界にはないということになる。たとえ、自分以外の全員が「そういうものがある」と言っても、自分にそれが入ってこなければ、それは存在していない。そういうものがあるという仮定で話を進めることはできるが、それを実感できない限りそれは世界には存在しない。世界は自分に入ってくる刺激で成り立っているのだから。
 そうなると、私がまだそれを知るだけの機会に遭遇していないだけで、私以外の全員が持っている感覚というものがあってもおかしくはない。逆に世界で一人だけが持っている感覚が存在している可能性もある。それは誰にも否定できない。そうなるとコミュニケーションの疎通になんらかのズレが出るのは当たり前だろう。
 もしも「視覚」というものを持っている人間が世界に一人しかいないとして、そいつが視覚について語ろうとすれば、そいつは「よく分からないことを本気で説いているヤバいやつ」として扱われ、死ぬまで「見える」ということがどういうことなのかを他人に証明することはできない。その世界では視覚は胡散臭い「第五感」として珍しがられるだろう。
 感覚器官でなくとも考え方や感じ方、脳の回路にそういった差異があれば、それは特異点となり病気とも力とも呼ばれ得る。
 どちらかを決定するのはそのときの社会のあり方に左右され、社会のあり方は「多数」に依存する。大多数がはじめから「視覚」を持たない世界があったとしたら、私のような「視覚」を持つ人間にとって使いづらい建物や交通機関が採用されているだろう。

 彼女らが去ったあと、私は満を辞して青いやつを登ってみることにした。チェーンに足をかけてチェーンを掴んで上まで登って下に降りる。何度か繰り返しやってみた。左右の棒が湾曲しているので上下するときに横の移動も必要だったが、動き自体はそれだけのものだった。その青いやつは見た目こそ奇抜だが、遊具としてのおもしろさは味気ないものだった。私は見知らぬ公園で見知らぬ遊具を見つけたということに胸を高鳴らせていただけなのだった。実際にそこにあったのは少しだけフォルムが珍しい梯子に過ぎなかった。
 私はあの妹が羨ましかった。私はもう一度、彼女がこれで遊んでいる姿を見たいと思った。なぜ彼女はただの梯子をあんなに楽しそうに登っていたのだろうか。彼女の耳が聞こえないことも関係しているのだろうか。おそらく彼女は一人で公園に来ていたとしても、同じように笑顔で登ったり飛び降りたりできるのではないだろうかと思った。彼女は私が持っていない感覚器官を頭の中に備え付けているのではないかと思った。
 そして私は彼女のような人間になりたいと思った。

 それからしばらく経って、私はGoogleアースというものを知った。パソコンに詳しいクラスメイトが教えてくれたのだ。なにやら自分の住んでいる家や近所やまったく知らない場所まで、まるで自分がそこに立っているかのように見れるということだった。
 私は早速、当時家に一台だけあったビックマックくらい分厚い、低スペックのパソコンを立ち上げて、Googleアースを開いた。カクカクの画面で苛立ったが、それを上回るほどGoogleアースは素晴らしいものだった。
 私はそれから自転車でどこか遠くに行くたび、家に帰ってはパソコンで自分が進んだ経路をたどった。実際に目で見たものと記録されているものの違いを感じるという、二重の楽しみ方を知った。
 そしてあるとき、ふとあの公園の青いやつを思い出し、Googleアースで調べてみることにした。あの日からだいぶ時間が経っていたので、記憶は曖昧だったが、家から出発し自分の頭の中と画面の景色を照らし合わせながら進んで行くと、覚えのある道に出て、その角を曲がると公園があった。地図上で見ると、意外と家に近いところにあって少し面食らったが、見つけられたことに私は歓喜した。
 しかし、そこにあの青いやつはなかった。たしかにその公園で間違いなかった。だが、Googleアースというものは場所によって撮影年数が違うため、数年前の写真のまま更新されず使われていることが当たり前だったので、青いやつがなくてもおかしくはなかった。
 やはり、あの遊具はかなり最近作られたものなのだろうと思った。

 それから私は前にも増して目的なく自転車に乗るようになり、中学生になってからはどんどん距離を伸ばしていった。嫌いな野球のことを忘れるにはより遠くに行くしかなかった。しかし、なぜ嫌いな野球を中学に入ってからも3年間続けたのだろう。とにかく私は前よりももっと遠いところまで行き、たくさんの知らない道や知らない家を見た。
 高校へは自転車で通った。片道40分近くかかる道を毎日往復した。そのせいか、通学以外で自転車を長距離漕ぐという習慣はなくなっていった。野球部にも入らなかったので、野球を忘れるために自転車を漕ぐ必要がなくなったということもあるかもしれない。

 結局、私があの青いやつを実際に見たのは小学六年生の時の一回きりだった。それ以来、あの青いやつもそれに似たような遊具も一度も見たことはない。青いやつで遊ぶ女の子のことを誰かに話したことはあったかもしれないが、それでも私はあの日のことを長い間忘れていて、今日なぜかふと思い出したのだ。
 
 あの青いやつは今もまだあるのだろうか。もしかすると、とうの昔に撤去されているのかもしれない。そもそも公園自体なくなっている可能性だってある。
 青いやつを楽しそうに登っていた彼女ももう22歳くらいになっているのだろうか。彼女は今でも遊具で楽しく遊んだりできるのだろうか。あの頃と何も変わらず、ただ純粋にブランコを漕いだりできるのだろうか。
 私だって、今も変わらずブランコをブランコとして楽しめる自信はある。
 
 ああ、ブランコを漕ぎたい。
 
だが妹よ、子供たちで溢れる公園でブランコを漕ぐには、あまりにも目の醒めた身体の大きな25歳に私はなってしまったではないか。



 渡辺浩平 2023/04/05

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