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生成AIですね。

夏休みにを前にして、ようやく「生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン」がだされました。暫定的ですから、とりあえずということで、それぞれの教育委員会や現場の先生たちが考えて対応して下さい、ということなのでしょう。

海外の人たちの意識と日本人の違いがマスコミでも取り上げられていますが、「生成AI」への「危機感の違い」はなぜ生まれるのでしょう。

当たり前のことですが、国々によってその文化が作られてきた背景は違います。

日本でも、ひょっとしたら「天動説」「地動説」のような議論が「AI説」「人間説」のように始まるかもしれませんね。

政治の対立は価値の対立、簡単にいってしまえば、「視点の違い」なのだと思ってきました。

視点の違いを認めず、どちらかが正しいという政治的スタンスを持つことがいいのか悪いのかよくわかりませんけど、欧米における価値のを日本人が理解しようとする時、神が人間を作ったと信じて疑いを持たない人たちがこの世界には、たくさんいるということを受け入れる感性がないと欧米の人たちを理解することは難しいと感じてきました。

視点の違いをどのようにして受け入れるかという教育は神話の世界を歴史教育のなかで受けてきた日本人とそうでない日本人の間でも難しいと思います。

合理的でわかりやすい、機械的な多数決を是とするシステムのなかでは、「止揚」という概念が死語となるのもしようのないことなのでしょう。

評価が必要な教科になってしまった「道徳的価値」の刷り込みは「しなければならない」の押し付けでしかないように思えます。

価値について学ぶ場所は日本の公教育では、高校の倫理社会だったのでしょうが、激変した情報社会の変化に追いついていないなら、リアルかバーチャルかで右往左往する公共心は、どこで身につけるのでしょう。

現実社会で役に立たないが受験のために必要な教科学習から、これからの社会で通用する学習を模索するなら、「なぜ」という問いをつくれる「先生」がもっとたくさんいて欲しいと願ってます。。

確かに損得や感情、思想信条に左右されず議論することって結構難しいことでした。

同質の意見を集めることは、議論のスタートにはなりますが、どこで誰が議論するのかが明確でないと「政治」でしか解決できないように思い込むのも少し危険だと感じたこともありました。

今度の「暫定的なガイドライン」にもフィルターバブルとかエコーチェンバーとか難しそうな学術用語が使われてますが、小学校の高学年になれば「グループ化」し、同質の持ち物や服装に憧れたりすることは以前からあったし、ネットいじめやスクールカーストという課題に前向きに向き合っていた先生なら、集団における排除の論理が「異質」というレッテル貼りに起因することは知っているはずです。ただ、それらのことに「向き合っていた」か、否か、だけだと思います。

「生成AI」の利用制限とそうした事象との関連がもうひとつ理解できません。どこかに混乱があるように思います。

ICTなどのツールにつきまとっていた、道具性悪説が生成AIでも生まれるかもしませんね。

結局はそれぞれの先生が「私はこう思ってます」という個における意思を伝える勇気が必要なのかもしれません。

教師という「仕事」への問いかけに、「振舞い」が答えだった時代はもうすぎてしまったようです。「自分の考えを他者に伝える」ことではじめて、あなたの振る舞いを理解してもらえるのだと思います。

○○あるべき論を多数か少数かで議論する事自体が「自分を見失う」きっかけになることもあったような気もします。

「初等中等教育段階における生成 AI の利用に関する暫定的なガイドライン」の作成について(通知)がでてますが、僕は今、あなたが先生を楽しんでいるかどうかを問いたいですね。

楽しむために努力もしたし、無駄なことも一杯したけど、楽しんでいる間は、楽しんでいること以外は「見えない」ということに気づいた時から、「自分の見えている範囲の人たち」だけには、一緒に楽しみましょうと声をかけることができるようになったようにも思えます。

あなたたちは間違いなくとても大きな教育の激変期の真っ只中にいるんだと思います。でも、そんな時だからこそ「先生を楽しめる時」なのかもしれませんね。

「教科 情報」と「道徳性を取り除いた情報モラル教育」、「AI対応の遅れたメディア教育、公民教育」の矛盾が一気に噴出しているように思います。

学校だけで規制すればいいという考え方なんですよね。

家庭ではどうしてくださいという対応は教育委員会や先生たちで考えてください笑
言葉は悪いけど、ある意味で国のアリバイづくりにも聞こえてしまいます。

「早寝早起き朝ごはん」のときみたいに、国が方向ださないとなにもできない親たちがまだ、いるのかな。

それとも、時代がかわっているにもかかわらず、未だに労働者論にこだわっていたりや自立できないまま採用試験段階でのスキルしか持っていない「今どきの若い先生」が多いのかな。

多くの国では、学校での生成AIの利用については13歳までVRをはじめ規制を行っていることも意外と知られていないようですね。珍しいから使いたいのはわかるのですが、小学校では関係ないと考えるのか、どんなことがリテラシーとして身に着けさせることが大切と考えるのか議論が必要ですね。

大変だろうけど、めげないで、しなやかにしたたかに先生楽しんで下さい。どちらにしても、ほっこりしたいね。

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