見出し画像

18 亡くなった人とつながる物語/葬式仏教の世界観⑤

  死というものは、とても不幸な出来事である。それは、死にゆく本人にとっても、遺された私たちにとっても同様である。

  自分が死んでいくことに冷静でいられる人はいない。自分自身が存在しなくなるという恐怖、死に至るプロセスの中での肉体的精神的な苦痛、もう大切な人たちと一緒にいられなくなるという孤独、この世に置いて行く家族の行く末の心配。こうした事柄がいっぺんに押し寄せてくるのが死なのだ。

  遺された人もやはり様々な思いを抱えることになる。大切な人を失う悲しさ、死にゆく本人の苦しみを想像しての切なさ、あの世でどんな暮らしをしているのかという心配、故人に十分なことをしてあげられただろうかという後悔。

  死は、その人との関係性を全て終わりにしてしまう。しかし、私たちは、これを終わりにしたくはないのである。つながっていたいのである。まだ故人のために、何かをしたいのである。そしてあの世で、幸せでいてもらいたいのである。

  自分が死にゆく立場でも、これは同様である。この世に遺していく家族には幸せでいてもらいたい。いつまでも見守っていたいのである。そして、自分のことは、ずっと忘れないでいてもらいたいのである。

  葬式仏教の宗教世界は、こうした我々の思いを実現させる。

  葬式仏教においては、「供養をすることによって、故人が安らかになることができる」ということと、「故人も私たちを見守ってくれている」ということの双方向のコミュニケーションが可能だということだ。

  あの世の故人とつながることのできるという事実が、私たちと故人の新しい関係性を生むことになる。この新しい関係性の中で、遺された私たちも、新しい人生を歩み始めるのである。

  こうした供養の背景にあるのが、霊とあの世の存在である。あの世があって、そこに故人の霊が暮らしているからこそ、私たちは供養をして、故人の幸せを祈ることができる。故人も、あの世から私たちを見守ってくれる。

  そう私たちは信じているのである。(続く)  

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?