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「次への“ブリッジ”」ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 2期10話感想

こんなニジガクのみんなが見たかった。こんな青春がしたかった。そう思ったのは、いつごろからでしょうか?今回のお話は、ちょっとした箸休めというわけでもなく、何かしらのブリッジになっている予感がしますね。少しずつですが、今感じていることをひも解いていこうと思います。

部長とは何か?を視る

メインになっていたのは、「部長としてのかすみん」です。アニガサキでは初めてといってもいいくらい、わりと初期のころの策略を張り巡らせるかすみんの姿がみられてとてつもなくびっくりしました。スクスタのメインストーリーとかだとあんまり黒さを見せなかったりするので、驚いた方も多いんではないでしょうか。

今回の策略は、以前のような感じとは違って「中須かすみが部長として威厳を示すため」というために終始張り巡らされていましたよね。お話全体を使って彼女が動いていくのはもちろんなんですが、それはかすみんがいかにしてこの部を支えてきたかを自然と裏返して気づくためのトリックのように思えてくるのです。1回目のフェスティバルでも、2回目のフェスティバルでも、中心というよりかは輪の全体をうまーくかきまわしていくように。ランジュちゃんと栞子ちゃんとのやりとりもその一つです。

威厳を示すというよりかは、お互いが気づくようにさりげなく風を振りまいていく。本人は気づいていないのかもしれませんが、以前のかすみんにはなかった新しい「パワー」なのかもしれませんよね。

日本特有の「日常回」

アメリカのカートゥーン(特に短編集とかではなくTVシリーズの大流行り以降)では、基本的にベースとなる「伝えたいこと」を主軸にわかりやすく話が進んでいきます。「ビリー&マンディ」のようなイカれたものであっても、「アトミック・ベティ」のようなオーソドックスなものであっても、基本的に1話1話に主題があって、それがゆらぐことはありません。しかしながら、私が日本のアニメーションを知ってとても驚いたことの一つは「日常回」と呼ばれる存在です。カートゥーン・ネットワークやディズニー・チャンネルのそれからすれば、まさしく「異色」と言っていいものです。

ただラブライブ!シリーズにおける「日常回」とされるものは少々特殊で、例えば「犬を拾う。」なんかではそれに見せかけた作品全体へ込められた意味へのブリッジとなる"渡し役"を見事に果たしていたりしますね。何も波がないように見えて、実際は非常に重要なピースとなるもの。そうしたものを見つけるのが楽しみでもあったりします。それでは、今回のお話の裏にはどのような意味が込められていたのでしょうか?

一つは「青春には終わりがあること」。あれだけワイワイ騒いでも、楽しい時間にはいつか終わりが来る。でも、思い出を形作って切り取って永遠にすることはできる。これから3年生がどのように動いていくのかはとても気になっていますが、少なくとも線香花火のイメージは「それ」を思い起こさせるのに十分だったような気がします。

もう一つは「団結」です。これからの波に向けて、同好会がもーっと一つになれるような体験。しかしながらそこにも彼女たちらしさがあります。「ニジガクGO」は基本的に個人でにゃんがさきを見つけることも、みんなで見つけることもできるような仕組みになっており、それが「仲間でライバル」たる彼女たちだけの団結の手段としてあったことに気づいたときはびっくりしましたね。ああ、らしいなと。

まだ見ぬ未来に向かって

さて。今日最後の話題として「写真」について触れておきましょう。その原理上、写真というものは「今を焼き付ける」上でこの上ないものです。この一瞬を永遠のものにするために人々は写真を撮ります。しかしながら、昨今それが変容しつつあるようですね。いわゆる「インスタ」というやつです。

Instagramの登場以降、写真を撮る意味が「今を残すため」というのではなく「自らの存在を肯定するため」になっている気がします。承認欲求というのは思った以上にバケモノで、取り扱いの難しいものです。ニジガクのみんなが写真を最後に撮っていったのは、間違いなく「ブリッジ」として「イマを重ね未来へ向かう」ための手段なんだと。それってまさに青春だと思うんです。

ただそうなってくると、このシリーズの意味する「イマを重ね未来へ向かう」というのが、これからちょっとだけ生まれ変わるような気がしていて楽しくもあり怖くもあります。特に黄色とピンクの髪の色をした彼女にかかっているのかも…

短めですが今回はここまで!
次回は風雲急、どきどき。

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