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絶望と選択 中村文則さんの『カード師』感想

4月上旬の夜、何の前触れもなく急に中村文則さんのホームページをチェックしようかなと思い立った。中村文則と検索しHPにアクセスすると『カード師』オンラインサイン会の文字が。これは!と思い早速特設ページで『カード師』を購入した。私は地方在住なので有名な作家さんのイベントには縁がない。唯一、高校3年生の自由登校期間にせんだい文学塾という講座の中村文則さんがゲストの回に参加しただけだった。このようなオンラインによるサイン会や講演会が増えてくれればいいなと思った。そのような経緯で私はカード師を購入した。

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本作は占いを信じていない占い師が主人公。英子という女性の依頼でとある資産家の専属占い師になる事から物語は動いていく。タロットカードやトランプマジック、ポーカーなどタイトル通りカードに関連するものが沢山出てくる。私はタロット占いに関して何の知識も無いので不安だったが、杞憂だった。寝る前に1時間ほど読書するのが日課なのだが、引き込まれてしまい一気に読んだ。寝不足になった。

特に物語中盤のRという違法賭博場でのポーカーは緊迫感が凄まじかった。主人公は隠居のために貯蓄していた全財産を賭けてポーカーを行うのだが、ここは違法賭博場。すべて奪われてしまうのか?それとも大金を手にして賭博場を後にするのか?ページをめくる手が止まらなかった。小説でここまでドキドキしたのは『掏摸』以来かもしれない。改めて中村文則さんの文章力と描写力に驚かされた。

本作の中で特に共感した一節がある。118ページの“調子に乗ってはいけないことを、忘れていた。自分が話したいからといって、誰かに話しかけてはならないことも忘れていた。自分を突然傷つけるものがこの世界にあることも、子供らしい振る舞いをした時ほど痛みが深くなることも忘れていた。”という一節だ。主人公が泣いている母親を励まそうとトランプ出したら、手で払いのけられてしまったシーンだ。私は小学5年生の時に母親の実家に引っ越し転校を経験した。その際、家族である祖父母、叔母、従兄からいじめられた。学校でも冬の入り口あたりまでいじめられた。今思うと私はあの時を境に自分の感情や意見を表に出すのを控えるようになった。中村文則さんの作品は子供時代に心の傷を負った登場人物が多いように思う。そのような登場人物の生き様や内面を見る度に私は一人ではないのだという安心感が得られる。

◆悪魔、神話、魔女狩り、ナチス
本作には神話や魔女狩り、ナチスなどの文章が出てくる。魔女狩りやナチスによる迫害・虐殺はもはや歴史となっている。しかし、形を変えて現代に残っているようにも思う。インターネットを見ると人々は常に燃やす対象を探し誰かを袋叩きにしている。Black Lives Matterが世界的に盛り上がったが、黒人がアジア人を差別するケースがコロナ禍において増えているとも聞く。作中にも出てくるが他県ナンバー狩りやコロナ感染者の差別・誹謗中傷も未だに無くなっていない。魔女狩りやナチスの手記はそんな現代のメタファー的な意味合いもあるのかもしれない。


◆日本を揺るがした事件・災害
本作には阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、東日本大震災など日本を揺るがした事件・災害が物語に密接に関わってくる。更に物語終盤では現在進行形で続いているコロナウイルスにより主要人物が亡くなる。本作は昭和末期から平成、そして令和にかけての日本を色濃く反映した作品となっている。中村文則さんは愛知県出身だが学生時代、福島に住んでいた影響か東北について良く言及されている。一東北人として、とても嬉しく思う。最近、ネットで人気を集めるバーチャルYouTuberという存在がいる。彼女(彼)らがよく行う配信の一つに“都道府県テスト”というものがある。残念なことに東北六県の名前や場所を正確に覚えているVTuberは一握りしかいない。もちろん多く間違えたほうがリスナーはツッコミやすくて面白いかもしれない。しかし、震災からはまだ10年しか経っていないのに宮城、岩手、福島の位置すら分からない人がこんなに沢山いるのか・・・とショックを受けた。小説、映画、テレビなど媒体は何であれ大事件・大災害を取り上げるのは重要なのだと感じる。

◆自分で判断し選択するのは苦しい
自分で判断し選択するのは苦しいというフレーズが幾度となく作中に出てくる。この本のテーマの一つだろう。たしかに人間は選択肢が3つを超えると幸福度が下がると聞いたことがある。判断を人に委ねれば楽だろう。失敗しても相手のせいにできる。たまに学校選びも就職先も恋人も全てAIなんかが決めてくれれば良いのにと思うことがある。我々の世代は自分がどう頑張っても何も変えられないと思っている人が多いと感じる。ゆえに誰かに管理されたいという願望が強かったり、強い言葉で論破する人が人気を集めるのだろう。しかし、それは作中にも出てきたナチスのように強い指導者、すなわち独裁者を生むきっかけになりかねないなと一抹の不安を感じる。弱いカードしかなく絶望的な状況であっても自分で判断しカードをめくるという行為が運命を大きく変える事もあるのだと思う。私もそうしていきたいなと思った。

◆何が起こるか分からないから絶望している暇はない
物語終盤の英子のセリフに“重要なのは悲劇そのものではなく、その悲劇を受けてもなお人生を放り出さない人間の姿だと”というものがある。本作屈指の名言だと思う。今の時代、格差やコロナウイルスなどマクロな問題から、個人を取り巻く環境や内面などミクロな問題まで、どんどん深刻になっているように思う。凄惨な事件が頻繁に起き、大災害も毎年のように発生する。絶望せずに生きるなど不可能なようにも思う。しかし、目の前のドアを開ける、カードをめくるという行為が状況を好転させることは確かにある。私が急に思い立ち中村文則さんのホームページを開いたこと、そして本作を購入したということがまさに私にとってはドアを開ける行為でありカードをめくった結果なのだと思う。『カード師』は中村文則さんの優しくも力強いメッセージの込められた作品だ。生きるのはしんどいし絶望的だが中村文則さんの小説と共に生きていきたい。

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