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「普通」のハードルを高くしているのはわたし自身だった【発達障害とうつ】

いつもいつも「普通になりたい」と口癖のように言っていたわたし。

何を以て普通なんだろう。わたしが思い描く普通ってなんだろう。

発達障害が判明したのは21歳の時で、それまでは精神科に時々通院していたものの抑うつ状態としか言われず、診断されるまでは小さい頃から抱えていた周りの人と何かが違うという違和感の正体はわからないままだった。

発達障害と診断されるまで時々通っていたお医者さんからは「あなたは健常者でも障がい者でもない中途半端な人だ」と言われ、なんじゃそりゃ!じゃあどうしたらええねん。という気持ちでしかなかった。

診断がなされて、違和感の正体が何となく自分の中で腑に落ちて妙に安心したことは今でも鮮明に覚えてる。

周りの人とは何かが違う、でも違うまんまいるのは嫌だ。
わたしだって普通の人みたいになりたい。
でも、普通ってなんだろう?

お薬(コンサータ等)を服用しないと仕事はおろか日常生活もまともに送れない、そんな状態で自分の思い描く普通の人にはなれるものなのだろうか。

過去の自分を振り返ると自分のキャパを理解(把握)しておらず、自分の思い描く普通の人に強い憧れを持ち、そうなれると信じてやまなかった。

RPGゲームで言えば装備も武器も初期の状態でラスボスに挑む、そのくらい無茶な理想をいつも思い描いてた。

でも、そうやって自分のことすら知れていない状態で高い理想を持って当然失敗するわけだけど、どうして失敗するのかすらもわからなかった

こんなことを書いておきながら今の自分の事も理解できていない

でも、理想を高く持ちすぎてしまうことでたくさん失敗して転んでケガしてきたことで転び方は覚えたと思っている。

普通って言葉は自分の中である意味差別的な様に思えてきて、最近は【元気な人】と例えることにしている(友人が使っていていいね!と思ったので。)

自分で自分を下げたり、逆にハードルをあげてしまうことを自然としてしまっていたのかな、なんて思ったりもする。

もっと自分らしく、他人と比べない生き方ができるようになれたらいいな、と思う。


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