海地獄がこれまでも、そしてこれからも大切にしていく価値
大寒波、緊急事態宣言とネガティブなニュースが続く昨今ですが、今が辛抱時としっかり前を向いて未来への仕込みをしていきたい所です。
さて、今回は僕達が運営している海地獄の魅力を「景観が素敵!」というテーマで綴っていきます。ご来場頂いた皆様がどこを評価されるかはそれぞれですし、評価してくれることは全て嬉しいです(お叱りの言葉は真摯に受け止めます)。その中で、新たな見方で海地獄を楽しんで頂けるように、僕なりに大切にしてる「海地獄の本質的な価値」を整理してお伝えしたいと思います。
先祖代々、大切にしてきたこと
僕が海地獄で働き始めた時、4代目である父が常に説いていたのが「海地獄の園内は徹底的に美しく」ということでした。幼少期の頃にも「海地獄は綺麗だろ」と口癖のように繰り返していた記憶があります。なので施設運営にあたって最も心がけるべきポイントは園内の美化であり、その為に、海地獄には庭園管理専門のスタッフが6~7名常駐するということが伝統的に受け継がれてきました。多くの桜を植樹したり、中国の山奥から輸入してきた石畳でお客様が通る歩道を舗装したり、美しく彩ろうと様々な取り組みをしてきたのです。
僕自身もそんな父の側にいて、また昔からいるスタッフの皆さんが園内美化にとても気を使って頂いていたので、当たり前のようにその考えを受け継いでいたのですが、なぜそこまでの熱量をもって取り組んでいたのか、その本質的な背景は理解せずにいました。それよりも派手なイベントや斬新なプロモーションをして注目を浴びた方が楽しいんじゃないかと、浅はかに考えていた時期もありました。
しかし、2017年に事業承継をしたタイミングで海地獄の価値とは何だろうと改めて思いを巡らせた結果、辿りついた答えはやはり「美しい庭園と地獄が織り成す景観」こそが海地獄が最も守るべき価値ということでした。別府で地獄が形成されたルーツを踏まえると、海地獄は実は全国的にもユニークな景色なのです。ご先祖様が代々守ってきたものは凄かった。
九州横断道路という大きな道路から海地獄に入ると、最初に見える景色がこちら。交通量の多い道路からいきなり、鬱蒼とした森林に囲まれた庭園、そこから更なる異質感を醸し出している地獄の噴気があります。街中から急に静かな庭園や地獄の噴気にいざなわれる独特の体験は、全国でも珍しく、あっという間に非日常な空間となります。
地獄ができるメカニズム
地下にたまった雨水は長い年月をかけてマグマで熱せられることで、別府で地獄と称される熱泉や噴気へと変貌します。そして海地獄のような熱泉の湯だまりは、地震や地割れ等で自然発生的にできた割れ目に、大量のお湯が流れ出て窪地に溜まることで形成されていきます。つまり、海地獄ができるための3大要素は、「熱源・湯が流れる割れ目・豊富な水」ということになるのですが、基本的にその条件がしっかりと揃うのは火山口に近い所が多いと言われています。
(マグマの熱源がある、噴火からくる地震で地表の割れ目が多い、割れ目が多いから雨水が地下に溜まりやすい、といったお話です。)
長崎の雲仙や、箱根の大涌谷(黒たまご大好きです)、北海道の登別も地獄で有名な人気観光スポットですが、いずれも火山口に近い地熱地帯にあるので、別府の地獄とはまた異なった景色がみられます。
長崎県の雲仙です。むしろこちらの方が地獄感出てますよね。そもそも仏教における地獄の世界観に合致しているという考えに基づいてそう称されているのですから、現代の別府における地獄の景色は街中に形成されているため、逆説的な部分がありますよね。僕はそこがユニークだと思います。
なぜ別府の鉄輪(かんなわ)に地獄ができたのか
別府の温泉は、別府市と由布市の境にある鶴見岳・伽藍岳という活火山を熱源としています。海地獄のある鉄輪(かんなわ)は火山口からやや離れた所に位置する温泉街ですが、別府でも特に熱い温泉でかつ豊富な湯量を誇るエリアなのです。ではなぜ海地獄のような熱泉でかつ大容量の湯だまりが長い歳月存在し続けることができたのか、「熱源・湯が流れる割れ目・豊富な水」という観点から簡潔に分析したいと思います。
まず「熱源」でいえば、鶴見岳・伽藍岳のマグマが起点になってくるのですが、その熱水帯(200℃以上)が鉄輪エリアまで広がっていることが分かっています。
※ 別府温泉地球博物館より提供
図でみても分かるように、山々と別府湾に囲まれた扇状地という別府市ならではの地形により火山口から広く熱水帯が分布されることとなったのです。
「湯が流れる割れ目」は、清和天皇の時代、869年に発生した「貞観地震」に起因するものといわれてます。この時に海地獄ができたと推定されるのです。
しかしこの時は、大地震が起きて、火山も噴火して、おまけに疫病も流行って、とてつもない難局の時代だったのですね。当時の人々は大変な思いをしつつも何とか踏ん張り乗り越えてきた歴史を振り返ると、僕たちも現代の難局をしっかりと乗り越えねばいけないと勇気が持てます。
「豊富な水」について、別府市は日本一の湯量を誇ると言われており、そもそも水(地下水)に恵まれています。九州を北東-南西に縦断する別府-島原地溝帯にあり、多くの断層が街のいたるところに存在することで、雨水が地下に染み込みやすいのです。熱源があっても地下に水が溜まらなければ温泉は生成されません。(火山はあるけど温泉のないエリアもあるのです。)水が地下に溜まりやすくなる環境は温泉が生成される為に非常に大切で、断層に加えて海地獄の近辺は多くの森林で囲まれており、雨水を一定量たくわえる涵養林としての役割を果たしていると言われています。これは3代目である祖母が、開発の進む中で温泉資源の確保のために守ってくれた森林だと父から伝えられました。(おばあちゃん有難う。)
海地獄は、大量の熱泉が長い歳月湧き続け、溜まっていくための条件が全て揃った奇跡の地と言えるでしょう。(自分で言うのもなんですが…)
海地獄は文化だ
海地獄の周辺は元々何もない殺風景な土地で、美しい庭園というのは後からできたものでした。曾祖父が海地獄を開業する際、地獄を景観としてお客様に楽しんで頂くために庭園を整備し、新しい価値を生み出しました。これは、自然を人の知恵で再解釈した、まさに文化だと思います。地域文化を継承していく大切さを、うなぎの寝床の白水代表が説いているとても素敵な記事があります。
その中で、地域文化を伝えていく為には「つくりてや地域文化側の商品やブランディングも必要だけど、生活者側の行動や意識を変えていく必要がある」という記載がありました。確かに、地獄って素敵な文化なんだ、と熱量もってアピールしたところで、観光でいらっしゃるお客様との間には結構温度差があったり、サービスの押し売りになってしまう可能性がありますよね。とはいえ地獄は長年紡がれてきて、かつ今も新たな解釈をして継承しようとしてる方々が沢山いる、とても素敵な文化だと考えてますし、世界中の人たちとこの文化を共有したいと本気で思っています。これからも様々な切り口で地獄を翻訳しつつ、今後は地獄という文化の素晴らしさを皆さんと共有できる企画を設計していきたいと思っています。