古市憲寿氏「漫画ってオタクが読む」→よど号ハイジャック犯も「オタク」?
テレビのコメンテーターって
ワイドショーや朝の情報番組のコメンテーターはどうにかならんものですかね。専門外の話をなぜドヤ顔で語れるのか不思議。今回は鳥山明さんの訃報に伴うご高説が問題です。
社会学者の古市憲寿氏が10日、日本テレビ系「真相報道 バンキシャ!」で鳥山作品について熱弁をふるったそうです。『Dr.スランプ』は連載終了後のお生まれで、ドラゴンボールもリアルタイムと言えるのか。フリーザ編あたりでちょうど10歳かな。
リアルタイム世代だから論評に資するという訳ではありません。だったら古典作品なんて誰も論じられないわけで。問題はあまりに話が雑なこと。
ジャンプ草創期が劇画という違和感
3月10日に東スポが発言内容を報じているので引用します。
うーーーーーーーーーーーーーーーーーむ。
『Dr.スランプ』のジャンプは劇画が多かった? そもそも劇画って貸本時代のイメージなんですけどね。代表的なところだとさいとうたかお、白土三平、小島剛夕、池上良一各氏。サンデー、マガジンの後発のジャンプは分野を問わず新興の意欲作が掲載されていたと思うんですが…。
これが劇画と言われたらグーの音も出ませんけどね。
「われわれは明日のジョーである」はなんだったのか
さらに疑問を感じたのはこのくだりでした。
『Dr.スランプ』以前の漫画はオタクが読むものでしたかね。そもそもそんな時代に「オタク」という概念はありません。それに劇画というなら大人や大学生が支持したわけですよ。
『Dr.スランプ』の出現で「漫画が社会現象になった」「アートとしても評価された」「男女の性別を超えて親しまれた」なら話が分かります。ところが「オタクが読むイメージ」というのが釈然としません。というよりも論評として雑過ぎます。
それならばよど号ハイジャック事件の犯人グループの声明文
はどうなるのよって。「われわれは明日のジョーである」この一節はあまりに有名ですよね。田宮高麿はオタクだったんですかね。
怖い事は考えない視聴者たち
すでにⅩでも多くの方が古市発言についてツッコミを入れています。それは予備知識があるからです。しかしテレビの視聴者はどうでしょうか。
「『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』はウチの子もよく見てたのよ~」
ぐらいの感覚や認識ではないかと。こうした層にとって古市さんの「劇画云々」「オタク云々」は既成事実として受け止めてしまうでしょう。
ところが経済や日常生活を左右するよりナーバスな情報だったらどうなるでしょうか。誤解、誤認識が広まるだけではないかと。
テレビや新聞の場合、日常的に「それまで漫画ってオタクが読むようなもの」クラスの論説が氾濫しています。
古市氏としても鳥山明氏を追悼する思いはあったと思いますが、あまりにレベルが低い。とりあえず社会学者や弁護士を引っ張り出しておけばコメントが成立するというテレビ局の風潮。そろそろ再考してみてはどうでしょうか。
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