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今日は54年目の「飛騨川バス転落事故」の日です(後編)

前回に続き「飛騨川バス転落事故」について綴っていきます。通常、この災害は「8・17集中豪雨」と言われ地元にも大きな被害をもたらしました。

『白川町五〇年の歩み』によると住居の全壊、半壊は20戸、家屋もろとも洪水にのまれて死亡した老夫婦もいました。また橋などのインフラが破壊され被害総額は11億円と推定されています。昭和43年の11億円だから現在の貨幣価値よりもはるかに莫大な損害額となります。それから有線放送が停止したという記録は時代を感じました。

自衛隊、警察、行政関係者、消防団が総出で復旧作業に当たりましたがその中で地元の自治会長が橋から転落して死亡する痛ましい事故も。

9月12日には当時の佐藤栄作首相が現地を訪れ災害状況を視察。保利茂建設大臣(保利耕輔元自治大臣の父)、秩父宮妃も視察と慰霊に訪れています。

現在、崖側は土留めフェンスが設置されバス事故以来、大きな災害は起きていません。しかしこの一帯は山が深くなおかつ非常に難所のため森林整備が困難です。事故当時と異なり「局地的大雨」、いわゆるゲリラ豪雨が発生します。現在の気候を想定した防災対策が必要ではないでしょうか。

天心白菊の塔側から見た崖。木が生い茂っています。




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