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#lighthouse

パワースポットが私にあるとすれば、東京現代美術館だと思っている。

大学院時代、一年半くらい休学して人生を足踏みしていた。

やるべきことも、好きだったはずのことにも、全く頭に入らなくなって、誰かと話すと涙が出てきて、スマホから誰かからの連絡が来るのが怖くてバッテリーが切れても充電できなくて、ずっとベッドに横たわって動けなくて、このまま死ねたらいいのにとだけ願っていた。

私が死んだら悲しんでくれる人がどれくらいいるのかな。

多分その状態で1ヶ月くらい過ごしていた。

だけど死ぬ勇気もなくて、私のことを知らない誰かに話を聞いて欲しくて、病院に行った。今までの人生で自分がした行動の中で一番賢明な判断だと思っている。

睡眠薬と向精神薬をもらって、飲んでみると、多分5年くらい私ってまともに寝れていなかったんじゃないかと思うくらいよく眠れた。

少し眠れるようになって起きていられる時間が長くなっても、人ともうまくしゃべれないし、すぐには復学なんてできなかった。

何か人間らしいことをしよう。ピンクのロールバーンを買ってきて、声に出せない溢れ出す言葉を書いて書いて書き続けた。

苦しい、なんで私はこんなにだめなのか、何が原因なのか。調子が良くて言葉が出てくる日はとにかく書いた。

そして、いつからか本当はやってみたかったことや、行ってみたかった所や、欲しかったものを書くようになった。

本当にだめな時って言葉を摂取すると脳がフリーズするようで、まるで理解しようとすることを拒否するようだ。家にある専門書とか論文とか、はたはた頭に入ってこなかった。

そんな状況の中で唯一行きたいと思えたのが美術館や博物館だった。

美術は言葉で私を侵食しない。こちらが何か受け取る準備ができて初めて語りかけてくる。

行きたい美術館をとにかくリストアップして、片っ端から足を運んだ。

最初に行ったのが清澄白河の東京都現代美術館だったと思う。

行きがけに人の会話が耳に入るのが嫌で電車に乗っている途中でもずっとノートに思ったことを書き続けていた。

美術館に行くと言っても、それまでずっと家に引きこもっていたんだからか、館内をみて回るだけでもぐったりだ。

ぐったりして帰ろうして外に出たときだった。

とにかくその日は天気が良くて、美術館のガラスや銀色のベンチや、小池の水に反射して目が開けられないくらいの光が溢れていた。

そのまま、なぜかこの曲を聴きたくなって、そのままベンチに座って何回かリピートした。

前からSalyuは好きで聞いていたけれど、その時の新譜だったと記憶している。

今日から新しく生まれて今日から新しく生きていこう、という歌詞だったことはその後回復してから改めて調べて知った。

今はお陰様で元気になってだいぶ経つのだけれど、天気のいい秋の日は、眩しいくらいの光に包まれながら聴いたこの曲のことを、思い出す。

そしてそれ以来、アートの力を信じている。

https://music.apple.com/jp/album/lighthouse/522293370?i=522293455



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