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カミングアウト
その日は、仲間で鍋を囲んでいた。
いつも通りの、アパコンというやつだ。
男女混合の集まり。
いつも通り、たわいもない話で笑って、
いつも通りの流れでツッコんで、
そうして、時が過ぎていった。
どういう流れでその話題が出たのだったか。
「オレ、実はゲイなんだよね。」
と、彼は言った。
一瞬、みんなの箸が止まって、すぐに、
「ふうん。」
「そうなんだ。」
「いいんじゃない?」
と、それぞれが言った。
「えっ?!それだけ??こっちはめっちゃ緊張して言ったんですけれども!!!」
焦る彼に、皆はどっと笑った。
「えー?いいじゃん。○○は、〇〇だよ。」
彼の決死のカミングアウトは、こうして、あっさりと受け入れられた。
その日を境に、彼は、どこか丸くなっていったように見えた。
革ジャンを着て、ゴリゴリの男っぽい彼は、すごく尖った面を持っていたのだけれど、その尖りは、日に日に優しさへ変わっていった。
これが、本来の彼なのだろうと、わたしは感じた。
後日、その場にいた女子友から、
「どう思った?」
と聞かれた。
「え?いいんじゃない?」
と、わたしは答えた。
その女子友は、
「そっかー。私はなんとなく、受け入れられなくてね。」
と、言った。
わたしは、
「ふうん。そっか。そういうのもアリだよね。」
と答えた。
(そうか。こういう生き方を受け入れられない、って気持ちもあるのか。)
わたしは、その女子友の考えから、また世間のひとつの価値を学んだ。
その後も、カミングアウトした彼との友だち付き合いは、しばらく続いた。
一緒に観光バーへ行ったり、ゲイ友の友だちの家に転がり込んだりした。
酔った勢いでゲイAVを見せてもらって、関心して見ていたら、「アンタ、大概よ!」と大笑いしながらツッコまれたのもいい思い出。
そんな彼を通して知り合ったゲイ友から、カミングアウトできない、カミングアウト怖い、という話をいくつか聞いた。
ひとが、自分らしく生きるというのは、難しい。それは、時にはセクシャリティに限らずだなとも思う。
なにか、ひとに言いにくいことがある時、勇気を出して言ったことを受け入れてもらえると、ただそれだけで嬉しい。
だけど....
ただそれだけのことが.......とても難しいのだ。
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