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It's me - A面: 何かと押し殺した、あの頃

大好きだった先輩のライブは、習い事へ行っているフリをして、公衆トイレで着替えて、内緒で行った。

みんなが行った、文化祭の後の打ち上げも、親のために諦めた。

誘われた、バンドのボーカルも、あきらめた。

悪いこと、必要ないこと、してはいけないこと、と、あの頃、親世代の価値観では思われていたことは、表向きはすべてあきらめた。

そのすべてが、魅力に溢れていた。

標準制服を着たわたしと、内に秘めたわたしとのギャップ。

親元を離れて、自分らしく生きたら、先輩にまで「ねーさん」と呼ばれた。

働くようになったら、
「バランスのいいひと」
「ここで収まる器ではない」
とか、好き勝手なことを言われた。

つまりは、変わり者、とでも、言いたかったのだろうか。わたしは、素直には受け取れずにいた。

わたしのルーツは、このnoteで記しているようなこと。
対極にある世界というものを、常に感じながら、わたしは生きてきたということになる。

世間的な「普通」とは無縁の、魅力溢れるひとたちが、わたしをこんな風に育ててくれた。

親というルーツは、こんな年になっても、何かあるごとについて回るけれど。

わたしをつくったのは、親だけではない、さまざまな出来事、さまざまなひととのこと。

そして、その数々のエピソードを、親は知るわけもなく。

わたしは、そうやって育ち、育てられてきた。

親だけではない、さまざまなひとたちによって。

わたしの思春期は、なにかと、押し殺した毎日だった。

でも、悩み、苦しみつつ、いつも呪文のように唱えていた言葉がある。

それは、
「今よりも、少しでも、明るいほうに。」
ということ。

葦のように、生きようと、いつも思ってきた。
転んでも、タダでは起きない、と。
葦は、倒れてもまた、しなやかに起き上がる。

そうやって、泥臭く、限りなく地べたを掴みながら、這い上がってきたところに、今のわたしがいる。なぜなら、わたしには、それしかできなかったからだ。

そうやって、一歩、一歩。
自分が、明日にはまた、少しでも楽でいられるようにと、わたしは生きてきた。


当然、落ちて、這い上がれずにもがき続けた日々も、数えきれないほどにあった。

そんなわたしが、いまここで、生きている。

そして、これを読んだ、あなた。

万が一、億が一でも、この文章になにかを感じたひとが、いまこれを読んでいるあなたなのであれば、わたしは。
あなたに、伝えたいことがある。

あなたは、わたしとは違う軌跡かもしれない。

でも。

いつの日か、あなたも、あなた自身の叫びを受け止め、逞しく生きていく日々が来るといいなと思う。

心から、そう思う。


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