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It's me - B面: ダメな自分、上等。

いや、

実は、

標準制服着て、真面目で一生懸命と見られていた反面、

ヤンキーの同級生と、放課後アイス食べに行ったり、

バンドやるからボーカルやってくれと頼まれたり、

話したこともない先輩ヤンキーに、何故だかよくわからないけれど、存在を疎まれていたりしていたわけです。

わたしという人間は。

群れなかったのに、なぜか特定の同性の子が、いつもわたしの行動にくっついていてきていて、そのくせ、卒業した途端、相手からは連絡すらない、というパターンも、すでに2回経験。

昔、あるスポーツクラブをやめた途端に、手のひら返したみたいに冷たくなった方々と、似たようなモンかな。

相手にとって、必要無くなったら、その後は塩対応ですよ、ええ。

別に嫌がらせされたわけじゃないけど、あの「すーん」とした空気は、なんとも言い難い寒さ。

ま、そんなものです。

大学のある場面では、なぜかしっかりしていると勘違いされて、頼られて、

なのに、

ともだちの彼が、調理師さんだったので、その集団とクイズ遊びしたら、わたしのほうが全然できなくて、

「大学生だよね?オレら、専門上がりだけど?」

って、かえってそのできなさを面白がられて、散々イジられて。

なんなんだろう、わたし。

デキるような、デキないような、しっかりしているような、不真面目なような。

なぜかどちらの自分も、ちゃんと自分で。


だから、ダメな自分を知っているからこそ、

仕事では、「ちゃんとした自分」でいなきゃと頑張った結果、たいそうな勘違いをされてしまい、「キッチリしたひと」と見られてしまう。

それはそれでとてもありがたいことなんだろうけど、

ふとした時に、なんだか、苦しい。

「あれ?わたし、ダメな自分じゃ、だめすか?」

と、口には出さずに、つぶやいてみたくなる。


なので、

たぶんわたしは、そんな自分と、こうやって、バランスを取ろうとしているのだ、と思うのです。

お酒も、大勢で飲むのも楽しいけれど、独りでじっくり、ゆっくりと、自分と向き合って飲む酒が、好き。

ある時、「バランスのいいひとだ」と言われ、ある意味それは、とても光栄なことなのだけれど、

でも、そのバランスを取るために、わたしが何をしてきたかを、その方々は知る由もない。

わたしは、わたしを作った人びとから、多くを学んで、さまざまな経験から、自分の思い込みを、1つ1つ取り外して....そんな作業を、数えきれないほどこなしてきた。

そうしてできたのが、いまの、わたし。

そんな、数多くの人生から学んだわたしの価値観が、たとえそこに、正義や信念はあったとしても、ピュアであるはずが、ない。


だから、

わたしは、いつだって、「ダメな自分、上等」って、思ってる。

とことんダメな自分がいるからこそ、しっかりした自分が出てくる。

そうじゃない時もあるけれど、そういうことにしておこう。


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