見出し画像

映画『ドライブ・マイ・カー』、観ました。


音声配信stand fm.で配信したコンテンツを、記事化してお届けするシリーズです。
「あなたのVOICEを聴くラジオ」、この番組は、マーケティングリサーチャーで脚本を書いているJidakが、ひと・もの・ことを通じて聞こえてきたVOICE・メッセージをお伝えしていく番組です。

3大映画祭コンプリート!の濱口監督作品

今日は見てきた映画の感想をお伝えしていきます。
映画は『ドライブ・マイ・カー』


今現在上映中です。8月21日から公開されていて、少し上映館が絞られているかなという印象です。
私のまわりでも広くかかっている印象ではなかったです。皆さんのエリアではどうでしょうか。
こちら、日本の映画で、濱口竜介さんが脚本・監督です。
上映開始前からちょっと話題になっていたので、聞いたことある方も多いかと思います。
こちらの作品は、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞しているんですね。受賞の話が先にあってから上映が始まっていたように思います。
濱口竜介さんは、私もあまり見ていないのですが、3大映画祭すべてで何らか受賞しています。
一つは2020年のヴェネツィア国際で『スパイの妻』という映画、こちら蒼井優さんと高橋一生さんが出演しているものですが、監督賞をとっています。
さらに、つい先日かと思いますが、ベルリン国際映画祭で審査員対象を『偶然と想像』という作品で受賞されています。こちらは今年の12月から公開予定のようなので、『ドライブ・マイ・カー』含め、見ようと思えば今年2作、濱口作品を劇場で見ることができます。『偶然と想像』は、古川琴音ちゃんと中島歩さんが主演のようです。
『ドライブ・マイ・カー』が評判だったのは、カンヌで脚本賞をとったこともそうですが、長尺だというのも話題の一つだったかと思います。「長いよ」と。なんと179分。3時間ですね。日本の映画で3時間ものって、最近あったかなぁと思いました。
長尺はちょっと…とは思いましたが、話題だったし、脚本賞をとっているということだったので、見に行こうと思っていました。さらにレビューでも見ておこうかなと調べていたら、「何を行ってもネタバレになる」と書いてあるのを見つけけ、じゃあ、あれこれ、どんな感触かを知る前にもう行ってしまおうと思って、先日見に行きました。



いろいろと情報としてお伝えしたいことはあるのですが、私の感想はというと、「いやぁ、観れてよかったな」ということに尽きます。
3時間があっという間とは言わないですが、濃密でした。まだかな、何分くらい経ったかなと思ったこともなかったです。
というのは、ちょっとこだわった構成になっているというのもあるかもしれません。
3時間をのっぺりとしないようなかたちで、冒頭のほうに工夫がありました。なのでそこで一回気持ちが切り替わるという形になり、あまり前のことを変にひきずらずに次のシーンから見始めることができたので、途中から新たな映画を見始めたような、時間を区切られたような感覚になれました。
それはたぶん計算されていたんだろうなと思います。

原作は村上春樹さん

ストーリーもものすごくいいです。原作は村上春樹さんの『ドライブ・マイ・カー』。私はだいぶ村上春樹さんを好きなほうではありますが、私はそれを読んでいません。で、春樹さん好きならきっと好きな世界なんだろうなとは思います、手放しで。
でもこれは「村上ワールド」という枠にはめなくてもよさそうだし、「濱口さんワールド」 なのかもとも思いました。
映画には、短編の『ドライブ・マイ・カー』のみならず、その短編が収まった作品集のほか2作品ぐらいの要素がちりばめられているそうなんです。
なので、村上さんワールドがとてもリスペクトされた状態だと思いますが、展開はたぶん濱口さんのスタイルではないかと思います。

静かに、‘わからなさ’に向き合う

そして、なんというか、わからないことが多いんです、多分。
あとでわかる感じです。
「なんで今、私たちはこれにつきあっているんだろうな」という感覚になります。ちょっと言い方おかしいですが、「今、この時間は、このあとの何につながるんだろうか…」「今、私たち、たぶん我慢しろって言われているよね」というようなシーンがいくつかあるんです。
それは退屈だという意味ではなく、何か謎解きをしているような感じでした。
「これはこの後どこに?」「このシーンはどこに?」と次々に思い、そう思った自分が、あとで役に立つという感じ。
染み込んでいく感じ。
映画の中の時間につきあっていく中で、自分が体得していった感覚みたいなものが、あとでドバーッてまとまって吹き上げる。あ、静かにですが。静かに感情が立ち上がるという感じです。
全編とっても静かです。
大きな効果的な音楽で盛り立てるような煽情的なものも特にないです。
自分の内側ですごく大きなうねりが最後のほうで押し寄せるんですが、それすら、映画の中では、表面上では静かです。多くを語らない。
映画なんだなーって思いました。
ドラマではなく映画だな、と。
「見ろ」という感じです。語らないです。語り過ぎないです。
とにかく映像を見る、音を見る、状況を見る。
自分の目で見ながら考えていく。
無音も多いです。その無音の間に、無音のメッセージを受け取って考える。
こっち側で引き取って考える要素がすごく多いです。そしてそれがすごく心地よかったです。
濱口監督自身も「映画館は入ったら終わるまでそこにいる。それ以外のことはできない状況になるのだが、それはわからないものにつきあわされる環境なんだと思うんです。それに向き合う時間ではないか。わからなさにもっと繊細に付き合っていく時間だと思ってもらいたい」とおっしゃっていました。
まさにそんな感じです。
とはいえ、ずっと「わからない」にむきあうしかないということではありません。
音と映像と、無音という音と、言葉と、繰り返される劇中劇のセリフがずっと体に入っていきます。そして一気に全部がつながる瞬間というのが、後半のほうに、観る人それぞれに訪れます。

どんな自分がこの映画を観るのか

どういう自分がこの映画を観るのか自分がどういうバックグラウンドを背負ってこの映画を観るかで、たぶん、受け取る感覚は違うんだろうなと思えました。
私はとても好きでした。日本映画を見ている感じではなくて、あんまり言い過ぎない、無駄に言わないあたり、間の取り方、無音の使い方はフランス映画っぽいなと思ったりもしました。
でも、どこどこ風にしているわけではないとも思います。

観る側の受け止めとしては全編詩のようなとまでいうと言い過ぎかもしれませんが、そんな印象です。
映像もいいです。町の景色とか、とにかくクルマがずっと走らされます。
クルマが走っている状態がずっと続きます。3時間のうちの大部分。
ドライブ中のクルマを遠景でとらえたり、車中で話している場面、話さずに車中を映していたり、と、とにかくクルマが移り続けます。
クルマが走っていて、後ろに景色が流れ、街中、海沿いなど、全てが美しいシーンとして心に響きます。

ここであらすじを…

あ、あらすじ言ってませんでしたね。
書いてあったのを読むと、
「舞台俳優で家福悠介(西島秀俊)は、ある秘密を残したまま妻(霧島れいか)に他界されてしまう。家福は喪失感を抱えながら生きている。2年後、演劇祭のために向かった広島で、寡黙な専属ドライバーみさき(三浦透子)と過ごすうちに、あることに気づかされていく」というものです。
そして、広島で演出する舞台の主役として高槻(岡田将生)がキーとなってきます。

広島の美しい風景が心地よい。


全編に広島の美しい映像。そしてクルマはSAAB Turbo900
舞台がほぼほぼ広島なんですが、私は広島出身なんです。広島を出て時間は経っているので、全ての景色が懐かしいというより新しく胸に響きました。
クルマは家福さんの愛車で、15年ほどメンテを繰り返して乗っているSAAB Turbo 900。とってもおしゃれなクルマで、これが映像美にとっても効いています。
ボディは赤。街中を赤いSAABが走っていく感じがすごく美しいんですが、これ、原作だと黄色だそうです。
濱口監督が「街中を走らせている時により映えるように」と赤になったそうです。

もし、広島にゆかりのある方がこれを聞いてくださっていたら、「どんなところが映ったのかな」と思われると思うので、少し言いますね。
演劇祭の舞台になっているのが、平和公園だったり広島国際会議場。高槻(岡田将生)が定宿としているのがグランドプリンス広島。そこのエントランスが何回か映ります。
演出家の家福のステイ先は、「会場から1時間ぐらいクルマでかかる場所。行き帰りの車中でセリフをさらいたい」という設定で、選ばれたのが呉の大崎下島の御手洗地区です。古い家屋、民家が選ばれているのですが、それがまた美しい。
ここは海辺の街で、窓から海が見えるような設定なのですが、漁港の近くという感じでしょうか。明治・大正・昭和初期の建造物がたくさんあるところらしくて、1994年の重要伝統的建造物群保存地区に認定され、街並みが守られているところのようでした。


安芸灘大橋も遠景からクルマをとらえて映し出され、圧巻ですごいいいロケーションがたくさん出てくるなと思っていたら、クルマを走らせるのに映える場所を選んだということのようです。

(ロケーション・映像の素敵さをお伝えしようと関連記事を記載していると、映画ではなく広島案内みたいになってきちゃいますね、w)

そもそもは韓国・釜山で映画の大部分を撮影する予定だったとのことでした。しかしコロナ禍で渡韓できない状況が続いて日本で撮るしかないと変更したらしいです。広島が選ばれた理由が「クルマが走らせられるかどうか」と、さらに「それを撮るために良いカメラポジションが見つけられるか」ということが条件として検討されたようです。
選んだ甲斐があるような映像美にあふれていると思います。ストーリーそっちのけで見たい方も満足できるのではないかと思います。

私がすごく好きだった場面は、広島市環境局、要はゴミ処理施設のシーンです。吉島の先端部に2014年ごろ、建造されたようですが、「エコリアム」という名前の建造物で、その中にみさきと家福が気分転換のために入っていくシーンがあったのですが、その映像がとても素敵でした。
そんなゴミ処理施設があるのは知らなかったのですが、調べてみると、建築家が谷口吉生さんという方で、MOMAの新館やGINZA SIXを手掛けられた方でした。
ここもぜひ見てほしいです。「エコリアム」というガラス張りの回廊を歩いていて、まるでギャラリーのようにゴミが処理されていく風景が、人間がちっぽけに見えるような巨大なプロセッサーみたいなものをガラス越しに無音で無臭で見て歩いていて、環境や自然の偉大に気づくというような構造になっているのですが、これを映画の物語の中にうまく組み込まれています。

再生の物語が静かに紡がれていく。

私はあらすじは知っていたので、喪失感を抱えた50手前の男が、若いみさきというドライバーと出会うことでどんなふうに再生されていくのか、ということにすごく興味がありました。
物語としては、喪失感、つまり喪失したままの状態になっていて自分と向き合うことをやめた状態の人間が、あるきっかけで人生で見つめ直すドライブに出るというプロセスが描かれているドラマだと思います。そしてまた西島さんが素敵に演じてらっしゃいます。
三浦透子さんも、寡黙なドライバーみさきを素敵に演じています。みさきにおいて何らかあるわけです。なぜ寡黙なのか、なぜ専属ドライバーができるほど、なぜその若さで運転がうまいのか。
最初は家福は、自分の運転に自信があるし、若い小娘にステアリングは握らせたくないというような表情を浮かべるのですが、一回試しに運転したあと、もう何も言わなくなります。そのぐらい、不満のない運転をみさきはするわけです。なぜ、そんな運転ができるのか。そしてお互いほぼしゃべらなかったのに、どのように心を通わせていくのか、というようなところが、静かな映画の中で、徐々に高まっていく注目ポイントだと思います。
あと、岡田くんの高槻。岡田くんの演技がしびれました。後半30分ぐらいのところで、岡田くんじゃなきゃできなかったなぁというような見せ場があります。すごいです。長ゼリフ。ワンカット、だったかな、一人でえんえん10分強しゃべるという場面があって、もう、魅せられましたね。
あらゆる意味で、いろいろな技術だったりセリフとか、場の変え方など、現代の駆使しましたーというほうではないほうの、もっと根源的なところで映画のあり方、味わい方を改めて感じられた映画でした。
あ、これ、うまくきっとしゃべれないなぁと思っていたのですが、20分もしゃべってしまいました。
そのぐらい、楽しかったんだと思います。
ぜひ見てほしいです。


※この記事は、音声プラットフォームstand fm.で話している内容を文字起こししたものです。

(終わり)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?