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才能がない私が、生き残るためにやってきたこと

昨日今日と2日間「イラストレーター」として、イベント会場で実演をする仕事をしてきた。
本当に本当に楽しかった!
大好きなメーカーさんからのオファーで、この仕事ができている奇跡と、見つけてくださり、今も関係を続けてくれている皆さんの存在を嬉しく思う。

と同時に、アーティスト、としてファンがたくさんいる中で活動している人たちと同じ空間にいることで、見えてしまうこともたくさんある。

「絵、お上手ですね!!そういうお仕事されてるんですか?」
「本職はなんですか?」


と声をかけられることが多くて、ああ、イラストレーターとして
名前が売れたことなんてないもんな…と思う。
そして、絵の感じがその程度だよな、、とも思ってしまう。
ここにいるのが私でいいんでしょうか、と思いながらも
できることは全部精一杯やってきた。

今の生き方に後悔はないけど「イラストレーターの世界」で勝負していくことを諦めていることを、ここにくると、まざまざと思い知る。




そんな私だけど、先月、自分で立てた売り上げが100万円を超えた。

多分、あの会場で会った皆さんは、私がそんなに仕事をしていると思ってないと思う。


今日は、そんな私が生きる場所を探してきた道のりについて書いてみる。


”小さい頃からお絵描きが得意で、周りに褒められてて…”

そんなこと、言ってみたかった。

私のお絵描き人生の最初の記憶は、幼稚園の時クラスの男子に
「何その絵(笑)」
と馬鹿にされたところから始まる。
親にも周りの絵描きさんにも褒められたことはほとんどない。
やっとの思いで合格した、難関のデザイン高専では
入って1ヶ月で「デッサンは諦めろ」と言われた。

自分のことが可愛いと思えたことなんてない。
同じく、幼稚園の時
「男女!」
と笑われたことから始まり、
成人式にはデブとブスのピークを迎えていた。
学生時代憧れの先輩に振られた時の気持ちは忘れられないけど
まず、好きだと思っていたこと自体がおこがましくて
怖い。若いって怖い。

人望があるとか、面白いとかもない。
なぜか思うところ、やりたいことがあって
小学校の生徒会の選挙に初めて出た時。
何度も何度も練り直して、暗記するまで読み込んで
挑んだ演説会…
ふざけて会場を盛り上げた男子が当選した。

一緒にいたいと思った女友達から
「しゃおりといても楽しくない。楽しくなくて魅力的な人と一緒にいたくない、と思うのは当然じゃない?私はもっと魅力的な人とつるみたい」
とはっきり言われたことも今でも覚えている。

そんなだから、早い時点で

「私には才能がない」
「素のままの自分では、生きていけない」

と感じていた。

いや、正確には

「そのままの自分で、突然成功したり、ポジションを取ることは不可能だ」

と感じていた。

「誰も愛してくれない」
「誰も認めてくれない」

なんて卑屈になったり、誰かが餌をくれるのを口を開けて待っていたりしない…というか、そんなこと考えても虚しいだけだった。

できないからこそ、見つけて獲りにいく。
物心ついたことには、そう思っていた…気がする。

そんな「戦略」が
私もちゃんと持っていた「才能」とかけ合わせて
今、他の誰でもない自分として活きている。

これを読む人は「自分は何者なのか、とことん意識して生きること」
について考えながら読んでみてほしい。

じぶせかノートを作るのにも至った話だ。

戦略その1:ものわかりのいい子でいる

イマイチ、周りに溶け込めない
ダメなことはダメと言うし、苦手な人とはつるまないしで
うまくやれなくて浮いてしまう
そんなことが幼少期からあった。

意識しなくても、大人に好かれる方が簡単だった。
何をされたら嬉しいかが自然とわかったし、そう振る舞えていた。
大人の方が話しやすかった。
だから、幼稚園の時には、先生に
「どうしたらこんなにいい子に育つんですか!?」
と言われていたらしい。

「いい子ちゃん」として振る舞っていた、というとちょっと語弊がある。
演技したり振る舞ったりするのは苦手。

好きだな、きっと話ができる、と思った人、大人、子どもにかかわらず…に、その相手のことを考えて接していた。
自分が好かれるためじゃなくて、相手が何を欲しいか想像していた。


戦略その2:企画側に入る


中学生くらいから特に顕著になったのだけど
「頭の良さ」「頭のかたさ」「先生に好かれる態度」
これで、一部の女子に煙たがられたり、ちょっと一線を引かれるようになった。(すまん、当時成績だけは良かった。学年10位以内をキープ)

でも、それを隠してヘラヘラしてまで、その子たちと仲良くしたいという気持ちはなかった。

そんな私の居場所はずっと「生徒会」だった。
まじめに頑張って浮いてしまうのなら、みんながやりたがらないような面倒なことを、とことんまじめにやるのが普通の場所に入ってしまえばいい。
最初からポジションを少数派にしてしまうと、浮いてても違和感がないのだ。
中学の3年間ずっと生徒会役員で、最終的に生徒会長になった。
役員の子達も話が合う子が多くて、楽しかった。
イベントは企画側に回ってしまうのが楽しい。楽しいというか、大多数に混じって楽しむのが苦手な私には、やる側の方が気持ちが楽だった。
文化祭の成功などに命を賭けていた。


戦略1と2は、私に合っていて、成功したと思う。
これを読んだ人は、私が無理して身につけたように思えるかもしれないし、自分でもそう思っていたけれど
…実はこのふたつは、私が持って生まれた性質だ。(と、のちに統計学を知って思った)

好きな人と打ち解けて仲良くなること、全体を見る企画側に回ること。
無意識に、得意を伸ばす選択をしていたということだ。

戦略3:ひとつだけで勝負しない

私には、何かひとつ秀でたもの、というのがなかったと思う。
今思えば、文章は少しその可能性があったかもしれない。一番褒められて評価されてきたのは、明らかに文章だった。

運動も、音楽もそこそこ。勉強だって、上位ではあったけど一位じゃない。
それらを伸ばそうという気もなかった。

そして、その中でも「苦手」に近いかもしれない「絵」を、なぜか大好きになってしまった。

どんなに下手でも、毎日上手くなりたくて仕方なくて、ずっと描いていた。
今でも同じ気持ちだ。

デザイン系の高専(美大みたいなもの)に進学して、本当に絶望した。
下の下、までいかないのがまた中途半端な、中の下くらいの画力。
自分でも、上手じゃない、魅力的じゃない、というがはっきりわかる。
大きなボードに描く絵が楽しいと思ったことが一回もない。
それでも腐らなかったのは、楽しくないのに描くのはなぜか好きで、諦められなかったから。

唯一楽しく手応えがあったのが
得意な言葉で補うことができる「イラストルポ」だった。


こういうのです。これはボリュームありすぎ(^◇^;)



そして、もうひとつ、人と話すこと。人を観察すること。
好きだな、と思える人と深く話し・つながり、それを通して感じたことをなるべく的確に伝える手段が「取材と執筆」だった。

絵も下手。
器量良しでもない。
人とプライベートで仲良くなるのも下手。
その場で面白いことを言うのも下手。

でも、文章で伝えるのは上手い。
話を聞くのも好きだし、そのための段取りをする力はある。

だから早い段階で、人の取材を伴うイラストルポが、唯一生きる道かもしれない、ということを感じていた。

戦略4:コミュニケーションを克服する

実は私は「やるべきこと」がない時のコミュニケーションが壊滅的だった。
(原因は家族との関係なんだと思うけど、解決した今となっては振り返る気もない。)

大人に好かれたのは、大人との関わりの方が「正解」が見えるからだ。
生徒会に入ったのは「やるべき仕事」があれば「正解」がわかるからだ。
イラストルポを通して人と関わろうとしたのも「友達」になるのが苦手だからだ。

大人になった時には、完璧なようですごく危うい、かなり重度の「アダルトチルドレン」になっていた。

仕事など、名前のある関係から離れた時、正解を探して自分を殺す振る舞いしかできなくなったり、それが祟って爆発したりして
迷子になっては、人間関係から逃げたくなる、というのを繰り返しており

起業を考えた時、このままではまずいと、カウンセリングやコミュニケーションの講座に通いまくった。今でもお金と時間をかけて学び続けている。

その結果、ある時期には「素の自分や本音を見せること」ができるようになり(見せすぎ説)
今は、出てくるものを垂れ流しにせず、ちゃんと意識下でコントロールする、ということを学んでいる。


得られたもの:信頼

ひとつの技術と才能だけで選んでもらえることは、今後もないと思う。

生き残ることを諦めず、得意を伸ばし、苦手を補うことを続けてきた結果
自分らしさを程よく見せながら、相手の事を思って話すことができるようになった。

こんなことに自信を持って、いつかコケるんじゃないかと自分で思うけど

人の信頼を得る、ということに自信がある。
これは、私が人を信頼できるようになったからだと思う。

そして、信頼してくれた人に対して、自分の培ってきた全てでお役に立ちたいと思う。

絵のクオリティだけで勝負できない、と思うのなら
役に立つ絵を描く。( POPに使えるとか)
人と話すことも学んできたんだから
たくさんお話して、商品も買ってもらう。

作るだけでは結果が出ないと思ったら
新たな提案をする時もある。

私と信頼関係を結ぶと、便利だと思う。笑
私と出会った人はラッキーだな、とまで思う。

一を聞いて10わかるし、自分の持っている技術じゃなくて
「今必要なもの」に対して必要なアプローチをする、ができるから。
いろんなことができる自分になれて、良かったと思うし
これからも、自分には才能がない&伸びしろがある、と思って
勉強し続けようと思う。

そして、とても大切なことだけど
自分の力は、好きな人のために使うと決めている。

だから「便利そうだな」と思って近づいてくる人や
人間関係をステータスだと思っている人
自分に都合の良い相手を探しているような人の相手はしない。

(自覚がなくても、私に冷たくされてると感じたらそういうことでっせ)


自分の世界を生きるワーク をしてみてほしい

何が言いたいかというと、世の中の多くの人が「一芸」を伸ばせるタイプではない、凡人だということ。

そして、だからといって大多数に埋もれず、自分というものを確立するのは可能である、ということ。

そのためには、とことん自分を知るに尽きるのだ。

約3年前、「じぶせかノート」というワークブックを作った。



手書きやイラストののワークブックに見えるけど

「突出したもののない自分」
「なのにプライドが高くて、ゼロからの積み上げすらできない自分」

とサヨナラするための本だ。

ワークブックの中でも使っている、この画像を見てほしい。
(ちなみに、この画像、SUNABACOさんと初めて出会った頃のお話会で使った画像!)

外の世界とちゃんと比較する、ということも第三者目線を持って伝わる活動をするために必須。でも、そこを見すぎていると、確実に辛くなる。

幸せの秘訣は、自分から逃げないことだ、とすら思う。

だから、自分の中にあるものをちゃんと観察して、言葉にして、書き出してあげる

その作業をサボらないでほしい。
しつこいくらいにやってほしい。
それをやり続けているから、私の幸せはぶれないし
今、好きな人に囲まれて、好きな仕事をさせてもらえている。

改めて、好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、苦手なこと、できること、できないこと、大切なもの…書き込んでみてほしい。


自分には必要ない、順風満帆だ、と思う人ほど、観念して、もう書いてほしい。


(おわり。いいなと思ったらスキ!やXでのシェアをぜひお願いします⭐️)






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