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38歳になって最初の日記。
自己紹介がてらの雑記
日記なんていつぶりだろう…なんていうのは嘘で、この日記は思いつきで始めて数記事アップしてそのままになっていたものを使うことにしたものだ。だから、まぁまぁ最近まで書いていた。フォローしてくださっている人やスキをつけてくださった人がいるから、消したくなかった。それに、もしかしたらその人たちが引き続き読んでくれるかも…という下心もあった。
その時のアカウント名はイサム。俺のおじいちゃんの名前だった。あ、そうそう僕はとにかく俺と僕をしょっちゅう混在させるので、一人称が安定しません。それを最初に断っておきます。いまだに僕の中に俺と僕がいるのです。人格が二つあるとかいうわけじゃなくて、一人称の違いがそのまま感覚や行動の違いになって現れるので、仕方ないのです。
文章を上手く書こうということはしたくないしできないので、思うままに。僕は今日38歳になりました。おめでとう俺。僕は今、介護ヘルパーをしながら青い似顔絵を描いている似顔絵師です。他にも本を作ったり音楽をしたりしているけど、それはまたおいおい。
フリーランスモデルのアリーさん。こんな感じで描いてます。
ここのところ
6月3日が双子座の新月だったようで、その辺からなんか確かに流れが変わって、昨日4日、妻が精神的に色々とまいってしまい、ちょうど一日フリーだったのでゆっくり過ごした。
ここ数日ぼんやりと考えていたことがいよいよ腹落ちした。青い似顔絵とちゃんと向き合う。あまり大げさなことをここで言いたくないので、これくらいにしておくけど。
(先日アップしたら流石に結構アクセスがあったkemioさんの青い似顔絵)
青い似顔絵の変化
今日はあたらしい画材を買った。今までの青い似顔絵を飛び越えるために、ワクワクする青を探して、こんなのを買ったよ。
ホルベインの油性色鉛筆とぼかしのアイテム。
このブログを読んでくださっている人たちは多分完全初対面だと思うので、今までの青い似顔絵がどうとか言っても知るかという話なのだが、僕の中では大きな変化なのである。
(線維筋痛症という難病を持ちながらフリーランスモデルをされている麻宮もころさんの青い似顔絵を描いている様子)
こういう感じでポタポタと水性インクを垂らすことで青が紙に染み込み、混ざり合っていくのに半ば任せるように、コントロールできなさをコントロールするみたいに描いていた。そのあり方は僕の人生そのものようだと思う。
それを、紙に直接塗り込むように、油性で粘性の高い色鉛筆で紙に直接青を描いてくのだ。とても怖い。思えば直接的・コントロール可能性、そういうものが怖かったなぁと思う。
身体性の伴う似顔絵へ
ということなのだと思う。
青をポタポタ垂らすのだって身体性が伴うのだけど、より直接的に、紙の繊維に青を塗り込む!塗り込む!!という感じで「関わっていく」のだから、より僕のダンスが紙の上に刻まれるわけだ。ごまかしはきかない。
ギターとの関係性
おいおいと言っていたが、ちょっと書くと、僕はギターを弾いてきた。16歳くらいからだから、もう20年以上になる。僕は音楽的な素養というのはほとんどなくて、とにかくギターの構造、「ピンと張ったものを引っ掻き回す」ということが気持ちよくて弾き続けている。もちろんギターの音も好きだし、リズムに合わせて演奏することも好きだけど、その奥の方にはこの身体性がある。これがないとダメで、ギターを模したコントローラーを使ったリズムゲームなどには全くハマれなかった。
このピンと張ったものをはじいて音を鳴らしたり、紙の繊維を感じてゴリゴリと描き進む、という身体性には一種の背徳感がある。これは僕にとって福音かもしれないと思う。
背徳感をヒントに進む
背徳感。僕が色々なものに惹かれる時に、必ずそこには背徳感というものが顔を覗かせているように思う。
張り詰めた弦を弾いて音を出して空間に響かせる。
白い紙の上に塗料を塗りたくり、繊維を痛めつけながら色を刻みつけてく。
妻との出会いも、結婚も、生きることそのものも、一種の背徳であり、それすらも包み込んでくれる世界の豊かさに感謝する。
青い似顔絵師、赤阪正敏、38歳。
恥ずかしい人生を真剣に生きます。よろしくお願いします。