乳がんになった時のこと②

私の乳がんは左胸にできた。

部位や、左右にも、潜在意識のメッセージがある、と師匠の一人、梯谷さんは言う。

あの時、私は、Uターンして実家の近くに家を建設中だった。

添加物や農薬、放射性物資や電磁波を恐れる人の家作り。
そりゃあ、ストレスMAXだ。

極力、自然な素材を自然な方法で使っている工務店を探した。

はじめは家づくりのこと何も知らなかったから、大手工務店から周りはじめた。
でもすぐに、あれ?何か違うぞ、と感じ、ネットを駆使して調べたよ。

建材の産地、木材の乾かし方、シロアリの防腐処理がしていないもの、基礎の打ち方、土地の浄化、炭素埋没について、電磁波対策、、、
めぼしい情報があれば、あっちこっち見に行った。やんちゃ坊主を二人連れて。


普段は、子どもを大型スーパーにだって連れて行かないのに(走り回って収拾付かないから)工務店には必死で話を聞きに、西に東によく巡った。

ようやく、4年かかって土地を決め、同じ時間をかけて工務店を決め、電磁波対策に分電盤を特殊加工してもらったり、土地改良に+80万とか、お金のこともストレスMAX。


梯谷さんは、お金のこと考えるだけで脳の苦痛系が動く、といってる。

極めつけが、母の存在。
それが、左胸のメッセージ。



確かに、私たちは遠方に住んでいたのに、子育ては家族でするものだ!と思い、私の実家近くに建てることにした。

親と問題があるヤツに限って、実家近くに家を建てるって、ママ友に言われた。
まさに。

大工さんのお茶出しやらお菓子やらを親に頼ったから、そりゃ、あの人は口出しもしてくる。

もともと、母は「心配」というパッケージの愛情を私に注ぎ、私に私の人生の主導権を握らせなかった。
(ように、私には感じていた。)

・日々の育児
・家づくり
・お金のこと
・母とのこと

①に書いたけど、この世からオサラバしたいと潜在意識で思っていながら、家づくりなんて始めたものだから、私は乳がんを発症させて、人生の幕引きをしようとしちゃったの。

悲劇のヒロインを地でいこうとしちゃったの。

子ども時代は学芸会が大好きだった。

小6の時は主人公で、製糸工場の女工役で死んじゃった役をやったけど、現実でもやっちゃったの!

悲劇のヒロインだったのか、私は!

気づいた時は笑えたし、恥ずかしかった。

今は微笑ましく感じる。

でも、今、その当時の私の心情を思うと、大変だったよねー、ストレスだったよねー、と胸がきゅーとする。

今、胸がきゅーとする、ということは、脳的には、まだ私はあの時にいるのか。。。

それが、今、分かりました。

梯谷メソッドの出番だ!

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