30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象5、オデッサ4 宗教について

今回は、自分の宗教観、
(キリスト教の中の)正教について。

そして、オデッサのサーシャの家での正教を。


自分の宗教観と
キリスト教との出会い (子供時代の)

歴史や文化や芸術や民族性を理解するためには、宗教は避けて通れない。

自分が最初に知ったキリスト教は、多分プロテスタントである。
キリスト教布教のパンフレットを持った外人さん(白人)が
小学校のそばで下校を待っていて、
物珍しげに集まる子供たちに手渡していた。
キリスト教の意識したのは、この”宣教師”たちが最初。

小学校3,4年生頃、伯母の同居人の小母さんから
読書するようにと、子供の名作全集が送られ始めた。
ヨーロッパやアメリカの作品も多く、
理解するためにはキリスト教を知る必要が出てくる。
(読書の習慣をつけさせてくれた、
この小母さんには感謝している)


エホバの証人、聖書を学ぶ会?

浄土真宗でそれまで般若心経を唱えていた伯母が、
近所のエホバの証人に洗脳され、母も引かれてから、
「子供の聖書物語」を読まされたので知識が出来た。
まあキリスト教や聖書について理解するに役立った。
(良かったかは別)(反面教師にもなった)

その時に聖書の中の疑問点がいくつもあり、
洗礼を受けて布教しているエホバの証人達にぶつけたが、
自分の満足する答えは受け取れなかった。

それに内部の争いも見て、
「ここだってよそと同じだ」と感じた。

数年関わりを持ったが、洗礼的な物は受けずに済んだし、
影響はしばらく残ったとはいえ、離れることもできた。

もちろん宗教だから良い事も言っている、
盗んではいけない、殺してはいけない、など
他の宗教や基本的な人間のモラルと同じだった。

2つの宗教を通過した経験と考察は、
何でも簡単に信じない
自分の頭で考えるという事に役立った。
(他には読書も役立った)


ヨーロッパにはカトリックやプロテスタント

世界史の教科書で少し触れたり、
大人になってからヨーロッパを旅したりした事等で、
キリスト教の種類、カトリックプロテスタント
ある事を理解した。
(米のキリスト教はヨーロッパとは違うらしい)

90年代前半のロシアでは新興宗教が台頭

社会主義時代は宗教は重要視しなかったので、
宗教なんて関心の薄い人もかなりいた。

今まで信じていた自分の国が崩壊して、生活も壊され、
信じるものを失った人たちが、宗教に飲み込まれていった。
ソ連には正教が一番多くイスラム教や仏教も他もあったが、
さらにに新興宗教が沢山入ってきていた。

有名なのは”オウム真理教”だ。
自分がいた頃、TV局やラジオを安くで借り、
すごい勢いで毎日放送していたのを見た。

一度、日本語弁論大会を見に行った時、
「翻訳のアルバイトしませんか?」と
見知らぬ日本人女性に声を掛けられた。
代わりに尋ねて行った友達が、指定の場所に見に行くと
ドアの内側に教祖の写真を見つけ、慌てて帰ったことがあった。
地下鉄で、表紙が麻原彰晃の写真である本を読む若者も見た。


別な例では地下鉄の扉によく張ってあった広告に、
”マリヤ・デヴィ・キリスト”というのがあった。
その話をキエフの敬虔なクリスチャンの家庭で話すと、
恐ろしがっていた。
彼女はウクライナに住んでいて、しばらく後に
彼女の娘が殺されたという事件を聞いた。

  ↑ 今Wikiを見たらドネツクの女性だった。
 リンク先に行くとまだ活動しているようだが、怖いのですぐ閉じた。


正教とは?

日本で歴史的にキリスト教と言うと、
普通は西のキリスト教の事だろう。
信長や秀吉の時代に長崎に来ていた・・・

スペイン人ポルトガル人達はカトリック?
隠れキリシタンもカトリック?
オランダ人はプロテスタント?


西に流れたキリスト教が
後にカトリックプロテスタントに分かれる。

もっと以前に残って(東に行った)東のキリスト教が、
つまり正教だという認識。(正しいかな?)



同じ正教でも、場所により…
キエフとオデッサ


サーシャの仕事と正教

夫妻は敬虔なクリスチャン(もちろん正教徒)。
サーシャは、ちょうどこの時は夏の休暇中だったが、
何と教会で働いているとのことだった。

キリスト教の内容で色々な疑問があったので、
キッチンでお茶をしながら質問したりしていた。

宗教というのは、無条件で信じるものだろうし、
サーシャからでさえ納得のいく答えを受け取ったか覚えていないが、
ディスカッションはそれなり楽しんだ。
宗教とは無条件に信じるものなのだ。

オデッサでは宗教に関して、キエフよりラフに見えた。
例えば、正教で離婚は禁じられているけど、
サーシャは離婚歴もあり、息子もいると言っていた。


キエフの宗教観と少し違う

最初に訪れたキエフで滞在した家も敬虔な正教徒だった。
キエフは(北の)正教会の総本山だったからかもしれないが、
家族は宗教に対して非常に真面目で厳格で、
「敬虔」という言葉にぴったり当てはまった。

そこのお母さんの話では、
プロテスタントは全然違うけど、
カトリックは正教と近いとの事だった。

キエフの家族は毎食前にテーブルにつくと、
短いお祈りの歌を2部に分かれて(2声で)歌っていた。

聖書の中の自分の疑問点をいくつか質問していると、
あまりいい顔をしなくなった。
彼らにとって信仰は非常に大切で、生まれた時からあり、
周りも皆同様で、疑問を持つなどありえないのだろう。


キエフの正教会の分裂

教会を美しい建築物とも捉えていたので
キエフの中心地でいくつか訪れてみたい教会を
ピックアップしていた。
滞在先の娘に話した時、1つを指さし
「そこは悪い教会だから行っちゃダメ」と言われた。

分裂したためだとのこと。1993年に聞いた話。




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宗教と現在の自分の考え

敬虔なカトリックの国、
ポーランドにも行った事がある。
ポーランド人ヨハネ・パウロ2世が教皇だった時だ。
そこでも宗教については色々見聞きした。
あの頃は、まだ宗教への興味もあった。

今は、
メディアも盛んで、
多くの知識を持つ機会があり、
余暇の過ごし方も人それぞれ、
様々な暮らしがあり、昔とは違う。
そんな現代は、
宗教が合わなくなってきている気もする。
少なくとも自分にもう宗教は要らなくなった。

もちろん宗教やその信者を否定もしないし、
今後も敬意をもって接するつもりである。

多分、法事などでは、
子供時代に暗記済みの般若心経を
皆と一緒に読むと思う。



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