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30年前のウクライナ訪問・思い出・経験・印象9 クリミア半島1 フェオドシア



まずクリミアの位置や地形を地図で確認。

クリミアを地図で確認

ウクライナの地図を今(2023年7月)
日本語で検索すると
”観光”と入力しても
”戦況”みたいな地図ばかり。
日本人てどれだけやられてるのかと思う。
(洗脳!!)

英語のキーワードを入れると
観光地図がちゃんと出てきた。

ウクライナのイラスト地図

 ↓

ウクライナのかわいいイラスト地図

真ん中を流れるドニエプル川が
なぜこんなに太く表現されているんだろう。
まるで分断されているようだ。

クリミア半島は南東(右下)。
イラストにある建造物はヤルタの ”ツバメの巣”。
ヤルタはヤルタ会議で知られる場所。
文学では、有名な
チェーホフの ”小犬を連れた奥さん”の舞台で知られている。

もちろんクリミアなら、ヤルタは外せない。



クリミアのイラスト地図

 ↓

クリミアのイラスト図
南部が高台になっている

クリミアの地形図

 ↓

クリミアの標高地図
標高の高い所にリゾート地、観光地が集まっている


民族・言語

 (Wikiを部分的に信じていないが大体の事は書いてあるので参考に。)

1783年 (当時エカチェリーナ2世) からロシアに編入。

言語

「2001年の国勢調査によると、クリミア自治共和国の住民の77%がロシア語を母語としており…」

人口と民族

1879年にクリミア半島を含む地域を管轄したロシア帝国タヴリダ県で行われた調査によると、当時の人口はクリミア・タタール人が194,294人 (35.55%) 、ロシア人が180,963人 (33.11%)、ウクライナ人が64,703 (11.84%)であった[30]。」

「人口に占める民族の割合は、
2001年調査において、調査対象者が自己申告した民族籍によると以下のとおりである[29]
ロシア人   1,450,000人(58.5%)
ウクライナ人   577,000人(24.0%)
クリミア・タタール人   245,000人(10.2%)
ベラルーシ人   35,000人(1.4%)
タタール人   13,500人(0.5%)
アルメニア人   10,000人(0.4%)
ユダヤ人   5,500人(0.2%)  」




クリミア鉄道図

中央の縦線から右に伸びる線路の存在は
今回フェオドシアの地図を見ていて知った。
フェオドシアに支線が引かれ、港に終点がある。

クリミア鉄道の地図


クリミア鉄道の地図 英語版
右端のウクライナとロシアの国境線はもう過去の事

https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%9A%D1%80%D1%8B%D0%BC%D1%81%D0%BA%D0%B0%D1%8F_%D0%B6%D0%B5%D0%BB%D0%B5%D0%B7%D0%BD%D0%B0%D1%8F_%D0%B4%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B3%D0%B0

↑ Wikiにクリミア鉄道として開業したのは2014年からと書いてある。
フェオドシアで線路を見た記憶がないのは当時線路がなかったからかもしれない。
 ↓ ここは通ったハズ

右のみかん色の建物がアイヴァゾフスキーの美術館 (下で説明)
正面の道を進むとグリン博物館 (下で説明)
後方が港






 = = = = = = = =

フェオドシア ~ クリミアの最初に訪問した町

Wikiでフェオドシア

「ウクライナの公用語にはウクライナ語のみが認められているが、フェオドシヤではロシア語を母語とする人口が大多数を占める。そのためウクライナによる単一言語主義政策に不満を持っていた住民も少なくなかった。

ロシアによる併合後の国勢調査ではロシア語を母語とする人は80%いたのに対しウクライナ語を母語とする人は11%に留まった。その他はベラルーシ語クリミア・タタール語などである」

Wikiからのスクショ



画家アイヴァゾフスキー

フェオドシア生まれだそうだ。
フェオドシアにゆかりがあるのは
アイヴァゾフスキーが一番有名かも。

Wiki ↓ でも作品が少し見れる。

アイヴァゾフスキーも見たかもしれない風景。
(↓19世紀末から20世紀初め頃の風景写真集)
https://www.youtube.com/watch?v=8qXvOHUglFs

ブログで紹介されている ↓




フェオドシアを選んだ訳
 ↓

深紅の帆 (アレクサンドル・グリン作)  

きっかけは、
モスクワで受けたロシア語の授業で
グリンという作家の短編を読んだ事だ。
その舞台がフェオドシアだった。

(はっきり覚えてないが)
海に浮かぶ帆の真っ赤な帆船が
最後に登場して皆をあっと言わせる
おとぎ話のような恋愛物語だった。

その時の先生が「素敵ねぇ~」と、
夢見心地で授業をしていた事を、
覚えている。

作家はアレクサンドル・グリン
 Александр Грин
作品名は「深紅の帆」
 Алые паруса

検索したら ↓ 日本語版が存在することを今回知った。

「小学館世界J文学館 真紅の帆 〈 電子版 〉
奇跡は自分で起こす! 究極のロマンチック小説。

カペルナ村に住むアッソーリは、妻を亡くした男が一人で育て上げた夢見がちな少女。ある日、旅する老人から「いつか真紅の帆の船に乗った王子が、おまえを迎えにくるだろう」と告げられる。村人からばかにされても、アッソーリはこのことばを信じ続ける。
グレイは資産家の息子だが、船長にあこがれて15歳で家を飛び出す。厳しい船乗り生活に耐えて20歳で自分の船「シークレット号」の船長となる。
航海の途中で、カペルナ村に立ち寄ったグレイは、海岸の中で眠っている不思議な少女、アッソーリを見つける。アッソーリに魅せられたグレイは、少女が信じている「奇跡」を、自分の手で起こそうと動き出す……。
夢をかなえようとする強い意志は、最後には現実を変えて勝利する! ロシアの作家、アレクサンドル・グリーンの圧倒的なロマンティズムに満ちあふれた傑作! 
なお本書には、1967年刊の邦訳版(「深紅の帆」原卓也訳、河出書房刊)に人気画家、金子國義が描いた挿絵を全点復刻掲載した。 (新訳)」



露語テキスト ↓ があったので一応リンク先。
https://ilibrary.ru/text/1845/p.1/index.html
映画もあったらしい。(長い)
https://www.youtube.com/watch?v=5YzwW4hxrx4

Wikiによると、バレエ、ロックオペラ、
ミュージカル等にもなったそうだ。
https://ru.wikipedia.org/wiki/%D0%90%D0%BB%D1%8B%D0%B5_%D0%BF%D0%B0%D1%80%D1%83%D1%81%D0%B0

グリンの家博物館はここ ↓

A.グリンの家博物館のHP
https://feomuseygrina.ru/





フェオドシアの風景 (Youtube)

(↑ この動画の5~7分頃に海岸通りが映っている。
 そこを歩いていた時、出航間近の船を見つけた。)

   ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~


前回の旅の話の続き

30年前の旅で
クリミア半島に入って着いた駅、
シンフェローポリから
バスでフェオドシアに到着。


フェオドシアの町に入ってから


実は、この町の自分の滞在時間は半日だった。

グリンの家博物館

フェオドシアに到着後、
バスを降りて直行した場所が
「グリンの博物館」であり、
フェオドシアの目的だった
その訪問は果たせた。

グリンが住んだ家。
資料が多い。
海の街らしい建物自体も
目的の一部なので満足。

グリンの博物館周辺はとってもおしゃれで
奇麗だったのでこの町がとても気に入った。



問題は
宿泊先を決める前という事だった。

(普段は最初に宿泊先を決めて
荷物をおいて観光することにしていたが、
なぜかここではタイミングを失っていた。)

気持ちや時間やお金に余裕がなかった、というのもある。
(時間はオデッサで長居したため)


海岸通り

とりあえず海が見たかったので、
博物館を出てから海岸の方向へ歩いた。
(近くに宿があるかもしれないし。)

リゾート地の雰囲気だ。
誰が言ったか、クリミアのリヴィエラ…


港の船 →出航

そして
海岸通りを散歩していると、不意に
次の目的地への、出発時刻の近い船を
見つけてしまった・・・。
それで ”魔が差した” んだと思う。

バスでここまで来る時、
混んでいて大変で、暑くて、
もうバスに乗りたくない、
と思ったのが頭に浮かんでいた。

その時夕方近くで
「今なら明るいうちに次の町に着ける」
と思い、
フェオドシアの街をろくに見ないまま、
船に乗ってしまった



地図で旅行

今になって地図を見ると
もっとちゃんと街を歩かなかったのが
ちょっと悔やまれる。
また行くこともないだろうに。

今はGoogleマップがあるので
余裕のある時、この町を散歩しよう。




…と思ってGoogleMapを見ていたら
フェオドシアのストリートビューがない!


Yandexの地図 ↓ ではストリートビューが見れることが分かった。

日本語はないが、
 ロシア語
 ウクライナ語
 英語
 インドネシア語?
 トルコ語?
から選べる。

Yandexの言語の選択肢



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