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”遠慮”は与える側の幸福を奪う

お正月っていいですよね。何がいいって、全部です。
普段あまり見ないテレビもお正月だけはつけっぱなし、夫婦両家の実家や親族の家を連日はしごしておいしいものを食べ放題、飲み放題。
初日からもうすでに体調を崩し気味です。
それでも正月だからオッケーって雰囲気。控えめに言って”最高”です。

そんなわけで、今日はぼくの実家に突撃してごちそうをいただく日でした。
新年の挨拶も早々に、ビールで乾杯。暑い夏とはまた違ったおいしさを感じる正月の冷えたビール。
でも、お酒や食事を楽しんでいるのは大人だけ。幼い子供たちはいつも通りの食事量、食事時間が終われば「暇」なんです。そしてこのご時世、子供たちを野放しにするわけにもいかず、結局はゲームをさせることになってしまう。

我が家はニンテンドースイッチを主として使用しているが、次男がまだ3歳なので1台のスイッチで足りている(家ではテレビ画面でしかやらない)。
出先ではもちろん取り合いになってしまうので、これまではあまりスイッチを持ち出すことがなかった。例外として実家ではテレビを使用できるため持ち出しはオッケーにしている。

しかし今日はイレギュラーな事態が発生。
いつもテレビを自由に使える部屋が「隔離部屋」として使用されてるではありませんか。限られた時間の中、ゲームをすることをすごく楽しみにしている子供。お正月からこの子たちの悲しい顔は見たくない。
ということで、ポータブル(テレビにつながない)でゲームを許可。もちろん直後に取り合いが発生。
その様子を見たぼくの父親がひとこと
「もう一個買ったろか?」
んん、、、3歳の息子にスイッチを一台、、、
お年玉をもらって、さらに3マン超えのおもちゃを買ってくれると、、、

正直うちの実家は裕福ではありません。親のふところ事情はわかりませんが、ぼくとしては咄嗟に二つ返事ができなかったため、一旦そのままスルー。

でもよく考えると、自分が遠慮してしまうことで、
「与える側の父」と「もらう側の3歳」。さらに、
「近い将来買い与える予定だった妻」と「取り合いがストレスな7歳」。
この全員の幸せを見送ってしまうことになるのではないかと気づきました。

結果、父の言葉に甘えてもう一つスイッチを買ってもらうことに。
ここにいる登場人物(自分も含め)全員が幸せな気持ちになったことは言うもでもありません。
さっそく家電量販店に向かい在庫ラスト1個のスイッチをゲットできました。(父が家電量販店に問い合わせをし、在庫確認までしてくれた)

ぼくは今まで、金銭の発生する”謝礼”などを過剰にこばんでいた気がする。それは「相手への遠慮の気持ち」と「いつかお返ししなければいけない」という2つがあって、親切や感謝を素直に受け入れられてなかった。

そして今日気づいたこと、3歳の息子がきっかけで学んだこと。
「与えられる側が遠慮をすると、与える側が得るはずだった幸福も奪ってしまう」ということ。

つまり、ギブアンドテイクに遠慮はいらないということ。

新年明けて早々ということもあり、人生の階段をまた一段ステップアップできたような感覚があります。

日常のあらゆることに関心を向ければ、どんな些細な出来事からも学ぶことができる。そう強く感じたお正月初日でした。

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