「信じる」を真ん中に置いたら、失敗ばかりの一年だったけれど。
「他人なんて、みんな敵だ」と思ってた。
物心ついた頃から、「きっと敵だ」と警戒しながら人間関係を始めてきた。どうせ自分は嫌われる。傷つけられる。蔑ろにされてしまう。
だったら最初から心の予防線をバチバチに張り巡らせておこう。相手を「敵だ」と思っておけば、不用意に傷つくこともない。
そんなふうにして、自分の心を守ってきた。
*
しかし、いろんなことが上手くいかなくなり、そして気づく。
「ひょっとして、心の防御が固すぎるから…?」
そこから少しずつ、防御を解いてみたり、鎧を脱いでみたり、人を信じるリハビリを始めてみた。
今年は特に、「信じる」のリハビリに力を入れた。
人に頼ってみる。任せてみる。待ってみる。どれも「信じる」がないと、できないことだ。
さてここで「人を信じたら、すべてが上手くいき始めたよ!」と書けたなら、綺麗な物語になるだろう。
でもまあ、そう上手くはいかないもので。
「信じる」から始めてみた結果、わたしは今年、行き詰まったり出鼻をくじかれたりする経験が、何度もあった。
例えば何かを誰かに相談して、「やってみたい」と言ってくれたことを信じて進めたら、「本当はやりたくなかった」と言われてしまったり。また同じように「大丈夫です」という言葉を信じて任せたら、最後の最後で「やっぱり無理です」と言われてしまうとか。人生は、そんなに甘くないね。
「信じる」に関して初心者マークのわたしは、たぶん「どういう相手なら、どれだけ信じてもいい」の見極めがまだ下手くそなんだと思う。特にわたし自身が本音と建前を使い分けられない人間なので、そういうハイコンテキストな社会で生きる人の言葉を「これは建前だな」と理解することが、なかなか難しい。
そんなこんなで、大きな挫折だけ数えても、今年だけで4回もあった。周囲の人からも「あなたは、なんかこういうの多いよね」と言われてしまうほど。だから、たまたまそういう人に当たったというより、やっぱり「信じる」の要領が得られてないからなんだと思う。まあ、めっちゃくちゃツイてなかった!とも言えるけど。
これまでの自分だったら、信じた人々から裏切られれば「やっぱり他人は敵だ」と結論づけてもおかしくない。けれど今は、そこに着地させないことにしてる。
なぜなら、そうやって一度挫折したあとも諦めずに続けてみたら、最終的に「あー楽しかった!」で終えられたから。
例えば、今年7月に出したこの本。実はこれ、動き出しのところで一度、挫折している。でもそれでも新たな可能性を信じてカタチにしたら、たくさんの方に受け取ってもらえて、ものすごく大切な一冊になった。
あとは「ちいさなブランドの学校」も文学フリマ出店も、実は同じように出鼻を挫かれる出来事があったんだけど、それでも諦めずやってみたら、楽しかったし勉強になったし、「やってよかった!」の感想しかないのである。
正直なところ、人を信じて上手くいかなかったときは、どうしたって落ち込む。2〜3日はため息ばかりで、「どうして?」という気持ちがむくむくと膨らみ、心が沈んで文章が書けなくなったりする。
でもまあ時間が経つと落ち込むのにも飽きて、「まあこれだけ悲しいのは、ちゃんと信じてたからなんだろうな」と、人を信じられるようになった自分を褒め称えて、前を向く。そうやって、今年は進んできた。
今年は「人を信じる練習を始めて、見事に失敗てんこ盛り!」な一年だった。
けれどそれでも、終わり良ければすべて良し。「失敗だったな」で終わらせない。だってそんなの悔しいじゃない。せっかくのリハビリなんだからさ。
ということで、「信じる」についてはまだまだ修行中。
きっと来年も、たくさん挫折するだろう。でもそれは人を信じられている証拠だから、自分を誇りに思って、前に進め。
おわり
[ おまけ ]
たくさん挫折もしたけれど、素敵な出会いもいっぱいあったんです。人を信じるっていいなと思わせてくれた人達もいるんだって、わかったのが今年いちばんの発見だったな。
●エッセイ集を出版しました
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