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頭のなかにある思考のエッセイ

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自分のなかにもやもやと浮かぶものの輪郭をとらえたくて綴る、文章の置き場所。主に自分のための言葉たち。
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#地方移住

「誰かが気にかけてくれる」という心の栄養

「誰かが自分を見てくれている」というのは、けっこう心の栄養になっていると思う。 わたしはその昔「自分なんて誰からも必要とされていない」と思い込んでいた時期があった。8年前にこんなブログを書いているから、それよりも前のことだ。 というよりそもそも、なぜだか小学生の頃からずっと「独りぼっちだ」という恐怖感にも似た感情を抱いていた。母子家庭ゆえに家にひとりで居ることが多かったのもあるかもしれない。「いましんじゃっても、だれにもきづいてもらえないし、だれもないてくれないかも」なん

心が叫ぶ、「もっとゆっくり生きたい」と。

工房の庭でのほほんと空を眺めていたら、観光客らしき年配の女性が歩いてきて、目があう。 道ゆく人に「こんにちは」と声をかけるようになったのは、都市にいた頃との大きな違いだ。挨拶に続けてそのお姉さんは言う。 「この人懐っこい猫ちゃん、飼われてるんですか? かわいいですね」 お姉さんが指をさす方向から、にゃあと声がする。このあたりは猫が多く暮らしていて、おそらく誰の飼い猫ということでもないので、そのことを伝える。 「かわいいですねえ」 「日向ぼっこしてたんですかねえ」 猫

「わがまま」だって、工夫すれば「生き方」に。

心がめちゃくちゃ疲弊し、ぐったりしていたここ最近。 静岡県・伊豆高原に工房を移転して、一ヶ月が経つ。 とても穏やかな場所で、鳥たちのさえずりに囲まれて過ごす日々は本当に気持ちがよく、新たにすてきな人生が始まったなと感じている。 それなのになぜ心がすり減っているのかというと、「安心して一人になれる時間」が圧倒的に不足していたからだ。 入居した店舗の設備の点検や、カフェ内装の打ち合わせなどで毎日誰かしらがやってくることと、補助金の申請や行政とのやりとりで一日何本も電話が入

「これ、やらなくても良かったな」の方がいい

引っ越しを間近に控えた夜、心にじわじわと不安が広がるのを感じていた。 神奈川県の辻堂に越して来たときには、味わっていない不安。辻堂はそれなりに都会で、昼も夜も道には誰かしらが歩いていて、街灯もあって、割と頻繁にコンビニもあるような場所だった。だから「都市よりもちょっと自然がある場所」に、ふらりと行くような感覚だったのだ。 しかしこれから「そうではない場所」に行くのだと思うと、楽しみな反面、本当に大丈夫なのだろうかと思った。 はじめての地方移住。行く先は静岡県の伊豆高原。

当たり前は、ひとつじゃない。

伊豆高原の朝。お店となる物件の掃除中、一息つくためにウッドデッキに出てコーヒーを飲んでいると、たまたまお隣の戸建てから出てきたおじいさんと目が合った。 正式に引っ越してきてから挨拶に行こうと思っていたので、急に顔を合わせたことに戸惑い、焦る。「おはようございます、隣に越してくることになりました」と簡単な挨拶を交わしたあと、突然のことに慌てているわたし達とは裏腹に、上品な白髪のその男性は、ゆったりと微笑みながらこう問いかけた。 「ええっと、永住ですか?」 わたしは「永住」

ガラリと暮らしを変える年

引っ越しが決まった。 人生で13回目の引っ越し。34歳という年齢から計算すると、2〜3年置きに住まいを変えていることになる。きっと前世は遊牧民で、その名残なのかもしれない。 次の住処は、静岡県伊東市。 35歳は人生のターニングポイントだと勝手に思っていたので、ついにその幕が開く。 いま暮らしている神奈川県の辻堂は、これまでで一番気に入っている街。どうしてもこの街に住みたいと思い、3年前に越してきた。だから正直、ここを離れることにだいぶ寂しさがある。 海街のゆるい雰囲