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古事記を読んでみよう 4

今回も引き続き古事記 天皇の物語編を紹介します。

9代目までの天皇には記載がなく、10代目 崇神天皇から記載が再開します。

天皇は山神による疫病を食い止めるために各地に神社を建設することで神様を祀り始めました。さらに彼は身内を各地へ派遣し支配させました。しかし遠征中に聞いた少女の歌声から身内の謀反に勘づき、異母兄を殺しました。

11代目 垂仁天皇は皇后とその兄に暗殺されそうになりますが、逆に彼らの子を奪い、彼ら2人を自害に追い込みました。
天皇の得た子供は言葉が話せずにいました。しかし、オオクニヌシの出雲大社の修理を行うことで子供は話せるようになりました。

そんな垂仁天皇は死の直前まで常世の国の立花の果実を欲していましたが、死ぬまでに間に合わず、部下は天皇の墓前で泣きながらその果実を埋めたとされています。

12代目 天皇の息子 ヤマトタケルは父の命令通りに兄を殺したことで父から怖がられていました。父は彼を日本各地へ遠征させることで自分から厄介払いをしました。

ヤマトタケルはその強さと賢さで九州や出雲でその土地の領主や権力者を倒しました。

ヤマトタケル↓↓↓

関東へ軍を進める中、伊勢神宮にて草薙の剣を受け取りました。関東を統治し、東北へと軍を進む中で嵐に遭遇してしまいます。またこの嵐によって妻は帰らぬ人となってしまいました。妻を失った悲しみから遠征から帰り、新妻を迎えて武器を預けました。彼はその後山神と戦い戦死しました。ヤマトタケルの死体は白鳥となってどこかへ飛び立ったとされています。

ヤマトタケルの子である14代目 仲哀天皇は国内だけではなく、新羅や百済にまで侵攻しました。

15代目 応神天皇には3人の子がおり、天皇は末っ子を次の天皇にしようとしていました。
長男は天皇である父の意図を汲み取れず、山や海の統治を任され、弟は意図を汲み取ることで国の政治の責任者となりました。

応神天皇の死後、長男が謀反を起こすが末っ子によって鎮圧されました。その後末っ子は病死してしまい政治の責任者となった次男が次の天皇となりました。

16代目 仁徳天皇は大変優しい天皇で、土木工事や治水工事を積極的に進めました。民家の屋根の煙の量から人々の貧富を測り、減税や工事中止などを提案しました。しかし仁徳天皇は浮気が多く、嫉妬した皇后は宮中の女性全員を出禁にしてしまいました。寛大な天皇であった仁徳天皇ですが謀反を起こした弟によって殺されてしまいました。

今回は以上になります。
次回もお楽しみに!

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