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『ただしさに殺されないために』を読んで〜それ以上いけないの贅沢盛り〜

 このノートは、白饅頭さんのご著書である『ただしさに殺されないために』の読書感想ノートです。ネタバレ注意です。

 この、『ただしさに殺されないために』を一言で評すなら、サブタイトルにもした通り「それ以上いけないの贅沢盛り」になる。この本を読んだ時、何度「それ以上いけない」と内心で呟いた事か。まるで数えきれない。
 平等、人権、自由、多様性、そういった現代社会では当たり前とされる思想等の問題点や限界点、矛盾等が事例つきでわかりやすくかつ的確に書かれてあるのが本書である。
 内容の一部を簡単に紹介すると、「自由や人権のせいで、現状の西洋社会は大ダメージを負っていてこれからも負い続ける。極右政党の様な過激思想の台頭は、その結果なのだ。」になる。
 「なんだ、そんな事か。知ってるさ」こう考えた人もいるかもしれない。しかし、これはあくまで本の内容の一部を大根切りにして書いただけである。
 「大ダメージ」とは具体的に何か?その深刻さは如何程か?是非買って読んでほしい。背筋が寒くなる事うけあいである。

 さて、ここで一つ質問をさせてほしい。とても無礼な質問であるが、お許しいただきたい。
 貴方は、何かしらの属性に対する差別感情をもっていますか?
 
「何言ってんだコイツ。あるわけないだろ。」恐らく、貴方はそう考えた事だろう。当たり前である。前記の問いにYESと答える人なぞそうはいない。私だって、前まではそうだった。しかし、今は違う。今はハッキリとYESともNOとも言い難い。(自分から問いかけておいて、ハッキリ答えられないなんて、失礼すぎるだろコイツ。そう思われたかもしれない。全くもってその通りである。大変申し訳ない。)
 前まではハッキリとNOと答えられた質問に、なぜハッキリと答えられなくなったか?それは、『ただしさに殺されないために』を読んだからである。
 本書では、「私達一人一人、そして現代社会は、大なり小なり何かに対する差別感情を持っている」という旨の事が書かれてある。著者の白饅頭氏は、本書において「私たちの社会にはマイルドな「植松理論」が存在する」と表現なされた。
 行動に移した植松は流石に極端すぎるとしても、私達の社会は植松が唱えた理論と大差がない理論を持っているのではないか?植松にNOを突きつけた我々と植松の間の距離はそこまで遠くないのではないか?白饅頭氏は本書でそう問いかけている。本書を読んだ私は、その問いかけに対する明確な答えは出せなかった。
 先程、私が投げた「貴方は、何かしらの属性に対する差別感情をもっていますか?」の問いにハッキリとNOと答えられた方ほど、この『ただしさに殺されないために』を読んでほしい。そして、その上で、白饅頭氏や私の問いに答えてほしい。

 昨今、社会的弱者(例えば、女性や障がい者)の救済や活躍推進が叫ばれて久しい。世のトレンドと言っても過言ではあるまい。そんな世の中においても、スポットライトが当たらない社会的弱者について取り上げているのが本書である。なぜ、同じ弱者であるにも関わらず、スポットライトが当てられない弱者が存在するのか?そして、そんな人々が何に対してどんな理由で苦しんでいるのか?詳しく書かれてあり、本当に勉強になった。弱者救済や活躍推進の理想と現実のギャップを知る事ができる。
 進撃の巨人のミカサではないが、「この世界は残酷だ…そして…とても美しい」そんな気分になる事だろう。

 リベラルやフェミニズム、アンチフェミニズム、表現の自由、反差別、右派、ヴィーガンetc、、、。そういった政治的立場を超え、多くの方々にこの本を読んでほしい。読んで損をしたと思う事は絶対にない。如何なる政治的立場の人間であろうと、自分の主義主張や思想を見つめ直す一助になるだろう。
 私はこの本を読んで、様々な感情を呼び起こされたが、全体としては痛快な気分になった。家族や友人にも薦めてみようと思う。

 

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