「美しいものを語るとき」
最近、美しいと感じるものを人と語るときに面白いなと感じることがある。
たとえば分かりやすいもの、例が挙げられないけども多くの人が美しいと感じるテンプレートのようなものは分かりやすいが、映画を題材に取ると
デヴィッドリンチ
デビッドクローネンバーグ
などの映画を見て美を感じる人がいる。
あるいは、エイリアンのHRギーガーの作品を見て、なんとも言えない美を感じる人もいる。
上記は、人によっては恐ろしいとか気持ち悪いなどの感覚を持つ人もいる。
しかし、一方で美しいと感じる人も世の中にたくさんいる。
これが面白い。
作っている本人は何かを狙っているわけではなく、間違いなく美しいと思って作っているそうだ。
本人にはそれが最高に美しいらしい。
その感覚を共有できる人、同じ感覚がある人が世界にはたくさんいて、それを言語化できないというのが面白い。
人間同士のコミュニケーションもこれと同じような感じなのではないかと思う。
全部通じ合うというのは難しいが、何か感覚が少しずつ触れ合って共感して、そこで繋がっていく気がする。
だから、媒体は違うけども映画や音楽、詩、絵画など、手段は違うけどもそれらを通じて人間は少しつながっている感じがある。
やっぱりきっと言葉で限界があるのでしょうね。だから芸術という手段を通じて人とつながろうとするのかと思います。
そういえば、音楽も同じようなことがありました。
ボードオブカナダ、マッシブアタックが好きという人と話したのですが、あの感じ。虚無感?デカダン?ディストピア?まあ表現の仕方は色々ありますが、そういった感じが好きで共感したというのがあります。
音楽なのに
ざらついたとかそういう表現が出るのがまた面白かったですね。
ワインとかもそうでしょうか?表現すごいですもんね。錆びついた鉄とか 笑
色々なものを媒介に話したい、コミュニケーションしたいと思います。
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