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「やさしさについて」

私はあるアプリを使って全然知らない人と話すことをやっている。もう2年近くも経つ。

そこでMさんと出会った。
Mさんは女性。

おそらく年齢は私と20歳以上離れていたと思う。

Mさんはとても穏やかで優しい人だった。

最初は普通に話していたのだけれど、なんとなく相性が合うのがわかりそのうち毎週特定の時間に話すことになった。
その時間でいろいろと教えてくれた。

幼少の頃スキゾイドという病気のためいじめにあったこと
他人に興味が持てないこと
人とのやり取りが難しく生きづらさを感じていること

などを話してくれた。

しかし、話しているときには全くそのような感じを受けず、感受性の豊かなむしろ普通の人よりも様々なことに気づくすごく豊かな感情を持った人だった。

話の中身はなんてことないことばかり

お互いの体調のこと
ドラマの話
色気のある男性の定義とは
趣味について
通っている習い事のおばあちゃんの話

などなど

私はこのアプリを使うときに、とにかく自分は受け手であり、相手の良い形で進めていこうと思っていたから、自分の意思をこめることはあまりなかったのだけれど、自然と毎週の話が楽しみになってきて、自分の思いが出てきてしまった。

好きとかそういうのではなく、良い人だなあ、この人には幸せになってほしいと思っていた、自然にそう思った。

スキゾイドというのも調べてみた。

なるほど、色々な症状があるのだなと思ったけど、彼女からはそういった感じは一切受けなかった。でも、あるスキゾイドを説明したサイトをみて少し納得した。

「スキゾイドを患った方は、一般の人から見たときにとても優しい人に見えます」

とのこと。

Mさんは優しかった。声も考え方も、生き方も私には優しく感じた。

優しいってなんでしょう?と言われると難しいけども
相手を尊重するというのか、お互いが生きていることを喜べる姿勢というのか、、わからないけどそういう感じがあった。
また、相手が過ごしやすいように、いきやすいようにはからうという犠牲的な精神も少し感じた。自分は二の次というか。。

話は変わり、少し長くなってしまうけれど、私は街中で盲導犬に会うと、もうなんって言っていいかわからないくらいぎゅーっと切ない苦しい気持ちになる。苦しいというのは適切ではないかもしれない。背筋が伸びてしまう気持ちというか、、、

盲導犬は訓練されて、ご主人様の目となり耳となり生きていく。

それはもう適当な間違いは許されない、徹底的に素養を確認し、その上できびしい訓練を積んでいく。

犬だって生き物だ。

おそらく自分でしたいことや考えていることもあると思う。

でも、盲導犬はただただひたすらにご主人様の目となり耳となり生きていく。

かなり大変な生き方だと思うけれども、詳しい人に聞くとそれが決して犬にとっては不幸な人生(犬生?)ではないとのこと。

私には確かめる術はないけど、確かに、いつあっても盲導犬の目はしんでない。

通常の犬よりは神経を使うためか寿命は短いらしい。
でも精一杯役割を果たしてしんでいく。

こんな話もあった。

浦沢直樹さん作画、工藤かずやさん原作のパイナップルアーミーという漫画。

主人公のジェド郷士は退役した凄腕の元軍人。

この話の中に、あるテロ組織の爆弾処理をする話が出てくる。

施設内に爆弾を設置され、ジェド郷士と訓練された爆発物探知犬がその施設内の爆弾を探していく。
そして、犬がようやく爆弾を発見。
しかし、爆発までもう後少し。ジェド郷士は懸命に爆発物の処理を行うが、時間いっぱいまで行っても解決せず、時間ギリギリまで利用客を非難させるのが精一杯。結局もう間に合わないと郷士はしを決意する。

その刹那、爆発物処理犬が爆発物を加え、全速力で建物の外へ。

数秒後爆弾は爆発し、犬はなくなってしまう。ジェド郷士と仲間は救われる。

このような話であったのだが、漫画の世界とはいえ、私はこの話は単なるフィクションではないと思った。現実にあり得る話だと思った。

犬だからということではない。事実、犬だけではなく人間もこう言った献身的、犠牲的精神で人命を救う行動を、命をかけて誰かを救うことをしてきた人がいる。

やさしさなどという生ぬるいものではないのだろうけども、心底、犠牲的精神を持った優しい人がいる。

優しいってなんだろうと思う、多分思い続ける。答えはないから。

でも、話は戻るけどたまに優しかったMさんを思い出す。

Mさんとは1年半ほどやり取りが続き、あるとき突然ピタッとなくなった。

何があったかはわからないけど、幸せだといいなあと思っている。

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