ドリームハラスメントってあるんだね
あさごはんを食べながら、主人が「これ読んだ?」というので、今朝の朝刊をのぞき込んでみると、「ドリームハラスメント」ということばをしりました、という投書が載ってました。
おとなが子どもに、夢をもつことを強要すること、だそうです。
常々、そういうのにわたしも主人も疑問をもっていたので、「ほんまにそうやな!」となりました。
学校でよく聞かれるやつ
将来の夢とか、どうしてあんなに何度も何度も聞かれるんかしら、と子どもたちが幼稚園から小学校のころ、よく思いました。
うちの子たちも特別、絶対これになりたい、っていうのはなく、いつも適当に「ネイリスト」とか「カフェ店員」とか書いてたかなあ。
わたしも子どものころ、なんか書かされた記憶はあるけれど、今の時代のほうがよく聞かれるような気がします(あくまで気がするレベル)。
それはなぜかを考えてみると、
近頃は、昔に比べて情報が増え、その分、選択肢も増えたこと。また、社会が全体的になんか余裕がなく、いまから将来のことを少しでも考えておきましょう、みたいな風潮があるのかなあ、と個人的には思っています。
娘たちには「別になんでもいいよ、適当に書いときなよ。人生、予定通りにはだいたいならないもんだよ」と言ってました。
絶対これになりたい、とかいう夢があるなら、もちろん「なれるといいね!頑張って!」と言いますけど、それほどでもなく、「また書かなあかんらしい…」という感じなので、そう答えていました。
小さいころからの夢をかなえて活躍する大人は、ほんとうにすごいとは思います。
けれど、個人的には、「思いもしなかった寄り道をして、紆余曲折の末にこうなって、それなりに大人やってます!」的なひとの人生のほうが、「はなし聞いてみたい」と思います。っていうか、予定通りじゃないほうが、圧倒的に多いんじゃないのかな?
だから、子どもたちには、「考え方も変わるもんやし、そのときそのときやりたいことやってね」みたいなことを言っております。
学校もそのうち変わってくるかも
「ドリームハラスメント」みたいな新しい言葉がでてきて、社会で認知され始めると、また今度は学校で「あまり夢などを書かさないほうがいいのでは」という風潮になってくるかもしれません。
わたしは、どっちかいうと、さっき書いたように「もー、大人目線の質問やめようや」と思うほうですけど
そうすると、今度は学校のほうが気をつかっちゃって、子どもに何かを書かせるテーマについて、余計な労力を使ってしまいそうです。
こんなこと言っといて矛盾しているようですが、一生懸命やってくれている先生たちを思い浮かべると、あんまりいろいろ言えないなあ、ともちょっと思います。先生が委縮しちゃうと、いいことなんもないような。
まあ、質問のしかたを変えるといいのかな。「将来の夢」というと、みんな職業とか、立派な将来を書きがちだから「将来、どんな大人になりたいか」とかいう聞き方したら、もっと多様で、率直なのが出てくるんじゃないかなあ、とか思います。
夢はあってもいいし、なくてもいい
わたし自身は、どっちかいうと、子どものころより今のほうが、夢がある気がします(子どもの頃よりは、という感じ)。やっぱ大人、最高。言うてもテストはないし、ある程度、自由にお金使えるし。
夢のある子、夢がなくてもまいにち一生懸命その子なりにやってる子、ほんとうにどっちでもいいですよね。体が元気な子も、そうでない子も、きもちが健やかであれば何より、と思う今日この頃です。
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