向田邦子 ベスト・エッセイ
向田邦子は、僕の祖母の世代だ。
なんと豊かな、それでいて、飾らない文章なのだろうか。
この歳まで、向田邦子の文章に触れたことがなかったのが残念に感じるくらい圧倒される。
戦争を生き抜いた家族の強さ、父の頑固おやじぶり(そう、向田邦子の両親世代は、明治生まれなのだ)、食べること、旅をすること、生きること、それらを彼女の文体を通じて味わえるのは、極上の体験だ。
日常のふとしたことを気に留めよう、書いてみようという気になる。
特に好きな文章は、『中野のライオン』、『新宿のライオン』。
向田邦子が中央線の車窓から、夕刻、中野あたりでライオンを見てしまう。
目に入ってきたのがライオンなのだ。そして、そのライオンにまつわる話が、2話にわたって楽しめる。その不思議な体験を向田邦子はこのように振り返る。
長い間、開かない抽斗に閉じ込めておいた古い変色した写真を取り出して、加筆修正をしなくてはならないのだが、不思議なことに、記憶というのはシャッターと同じで、一度、パシャっと焼き付いてしまうと、水で洗おうとリタッチしようと変えることができないのである。
僕は、ふと、小さいころ、東京ドームで野球観戦をしに行ったときに、長嶋監督に向かって、
「長嶋さん、次のサインは、これで」とバックネットの上に立って、必死の形相で、サインを送っていた一人のおじさんを思い出した。
向田邦子のライオンと比べるのが、憚られるようなものなのだが。
あのおじさんは、本当にいたのだろうかと、最近、思うようになったからだ。野球の観戦の在り方も随分と変わった。
野次を飛ばすおじさんも随分と少なくなった。まして、サインを監督に向かって送るという発想自体、今はもう見られないだろう。
向田邦子が描きとるのは、もしかしたら、こういう一瞬一瞬、言葉としてあとに残しておかないと消え去ってしまうような事柄なのかもしれない。
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