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LGBT理解増進法から、自由と全体主義について考える

こんにちは!自由主義研究所の藤丸です😊

LGBT理解増進法案は、先日6月16日(金)に参院本会議で、自民党と公明党、日本維新の会、国民民主党などの賛成多数で可決、成立しました。

今回は、この法案に関して思うところを書いてみようと思います。

私が主催している「自由主義を学ぶ会」のバーク読書会やハイエク読書会でも話題になったことです。

「性自認」「性同一性」「差別は許されない」「不当な差別」「理解促進」など具体的な文言など法案の細かい内容や、
SNSでも特に話題となっている「身体的特徴は男性だけど心は女性だという人が、従来の女性用トイレや温泉で女湯を使用する際におこる問題」については、今回はあえてとりあげません。

※このあたりについては、地方自立ラボさんのnoteに詳しくまとめられているので、こちら ↓ を御覧ください。

今回ここで考えたいのは、

そもそも個人の好き嫌いなど内面の問題に、政府が権力を使って、
「こう考えなさい」「これを理解しなさい」と押し付けること、
道徳心・価値観を強制することは、許されるのか?

ということです。

頭で理性で「差別はダメなことだ」と考えて、法律にして人々に押し付け、「差別のない理想な社会」を構築する。
これは、社会主義、あるいは全体主義そのものです。
これは本当に恐ろしいことに繋がります。


各企業や団体が独自で勝手に「うちはLGBT大歓迎です」とやればいいのです。
法律で無理やり画一化することは、非常に不自然だし、
個人の価値観を国家が権力を使って押し付けることの恐ろしさを、
もっと真剣に考えたほうがいいと思います。


「個人の問題について政府が関与することで、個人は救われる」という考えからでてきたのがナチス・ドイツです。

当時のドイツ国民は、
「ユダヤ人のせいで自分たちは貧しく苦しんでいる。悪いユダヤ人を政府が排除してくれれば、自分たちは救われる」と考え、ナチスを支持しました。
ナチスは国民の支持のもと、民主主義の名のもとに、堂々とユダヤ人を迫害しました。

結果、民主主義から隷従への道、全体主義へ向かい、誰もナチスに逆らえなくなりました。

ちなみにナチスは、動物愛護や環境保護など、今の価値観でも多くの人が「良いこと」だと思うこともやっています。
それとユダヤ人の迫害が同時に行われたこと。
その恐ろしさをしっかり考えたいです。

「差別をなくすのは良いことだから、政府が強制してもいいのでは?」
という考えで、政府による道徳的価値観への介入を認めたら、
再びナチスを生むことにつながるのです。

保守主義の立場では、政府が価値観を強制するのではなく、
過去の慣習や自生的秩序を重視します。
一律のものを求めるのでなく、曖昧なままでいいのです。

「保守の政党」と一般的には言われる自民党議員の大多数がこの法案に賛成していることは、本当に残念だと思います。


ちなみに、自由主義の立場でいうと、LGBTの人の結婚を禁止する必要は全然ないと思います。
ジョン・スチュアート・ミルの「危害原理」の考え方からも、同性愛などは他者に危害を加えるものではないので、明らかに許される個人の自由の領域に属すると考えられます。私もこの考え方に賛成です。

しかし、そのこととLGBTへの「理解を推進すること」を法律で定めることは全く別の問題です。
何かへの「理解を求める」ことは、極めて個人の内面への強制です。

細かい法案の内容や、女性の安全が脅かされる危険性は、
現実にすぐにおこりうる問題としてとても重要ですが、
そもそも論として、政府権力が個人の内面に踏み込む恐ろしさについて、
改めて考えてみてほしいと思います。

いつの間にか、個人の自由は無くなり、
私たちは、隷従への道、全体主義への道へと気づかないうちに進み続けているのかもしれません…。




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