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「自由」とはなんだろうか

こんにちは!自由主義研究所の藤丸です。

皆さんは、日常的に「自由」ということばを使っていると思いますが、
そもそも「自由」ってなに?と聞かれたら、どう答えますか?

自由ということばは様々な意味で使われているので、その答えもいろいろあると思います。

そこで今回は、自由主義者のいう「自由」について、私の思うところを書いてみようと思います。

「自由主義者」というけど、そもそも「自由」とは…?


一般に、自由主義者のいう「自由」とは、「消極的自由」のことです。
これは、他人からの恣意の強制を受けないことです。

「恣意(しい)」とは?🤔
気ままな、自分勝手なさま。自分の好きなようにふるまうさま。

つまり、「消極的自由」「他人からの恣意の強制を受けないこと」とは、
「他人の身勝手なふるまいによって、強制されない状態」といえますね。

言い換えると、
「社会において、一部の人が他の一部の人によって強制されることができるかぎり少ない状態」とか、
「ある人が、他人の恣意的な意志による強制に服していない状態」
ともいえます。

この自由は、人と人との関係にのみかかわり、
消極的自由に対する侵害は、人々による強制だけです。


ちょっとややこしいですね💦
では、”「消極的自由」ではない自由”を考えてみましょう。

日常語では「自由」という語で表現されるものは多いですが、
以下のA~Dはすべて、自由主義者のいう自由すなわち消極的自由ではありません。

A.権力としての自由
:望むことを望むとおりに実行しうること。
※これは「積極的自由」と言われ、自由主義者のいう自由(消極的自由)とは全く違う考え方です。
この積極的自由を自由主義だと誤解されることが、自由主義を「わがまま」だと誤解される大きな理由の一つです。


B.政治的自由:政治に参加する自由。参政権など


C.内面的自由:一時的な感情にふりまわされないこと(感情の奴隷でない状態)


D.物理的な自由
例えば、交通事故で足が不自由になった場合、ここで使われる自由(不自由)の意味は物理的な状態のことです。
また、雪山で遭難し動けなくなった時、物理的には自由ではない(不自由)ですが、これも自由主義のいう「消極的自由」とは関係がありません。

自由という語が、あまりにも様々な意味で使われているだけでなく、
両立し得ない状態が同じ自由という言葉で呼ばれています。

このことは意思の疎通が困難になるだけでなく、自由の価値を損ない、自由主義がわがままな思想だと誤解されている原因でもあると思います。



また、自由主義のいう自由とは、
「他人の同様な権利を脅かさない限り」という制限付きで、これが重要なポイントです。

「他人の権利を侵害しない限り、自分が望むことをする権利は全員にある」

ということです。

ちなみに、自由をこの「消極的自由」「積極的自由」(1909~1997)という概念に分けて考えることを提唱したのは、アイザイア・バーリンというイギリスの哲学者です。


以上、ざっくりとした説明ですが、自由について書いてみました。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
自由は重要なことなので、今後も別の側面から書いてみたいと思います。

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