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若い先生方へ(14)

この編で学級経営についての内容を終わります。今回もどうぞお読みください。 
21 教師の立ち位置
 集会や儀式のとき、教師はどこに並ぶか。子どもを見ればわかる。後ろや隅で内職をしていたら子どもの顔が見えないし、教室で追指導ができない。前に立つ者は、子どもに話すと同時に教師にも話す。実に妙味。
 勤務校や校長によって違うのでしょうが、過去には集会行事や始業式・終業式のような儀式的行事のときに、並ぶように指示されたことがあります。そうでない場合は、教師は、自分の学級列の後ろにいたり、体育館のはるか後ろに座り込んでいたりと様々な状況でした。そして、子どもの提出物や生活ノートに朱を入れたりする変わり者もいました。私は、教諭のときも校長、教頭の列に並ぶようにしていました。そして、校長になって登壇して話す際にも、子どもに話すとともに、教職員にも間接刺激になる改まった話しをしていました。皆さんは行事等の際どこに並んでいますか。また、そこで何をしていますか。校長の話をメモしておくと、学級で追指導ができてよいですね。ご参考までに。
22 家庭との連携
 家庭にも担任にも伝えたい「親は子どもの前で担任をほめよ。担任も子どもの前で親をほめよ」と。家庭の教育力が低下したと一人の担任が言う事なかれ。我々もみんな家庭人である。家庭は矜恃をもって子育てをしなければならない。
 職員室の中の会話で「この家の家庭教育はなっていないね、ちょっとね」ということを聴きます。個々の親は考えが違い、両親間の考えも微妙に違う。そういう中で育った子どもたちだから違うのは当たり前でしょう。担任は、子どもをとおして親にも考えさせることが必要でしょう。その手段が学級通信であり連絡帳でしょう。家庭では見えない子どものよさに触れながら課題についても言及しましょう。きっと先生はよく見ていてくれていると思われるはずです。
23 教育は「今日行く」
 学校で何かあったり子どもの様子がいつもと違っていたら、家庭に連絡をしてすぐに家庭に出向く。何事も初期対応。一夜過ごすと状況は変化する。上司に告げて今日行く。
 若い頃からこのことばは耳にタコができるぐらい聞きました。勤務時間削減、多忙化解消とはいいながら、危機管理の要諦は、最初の5分、そして、その日のうちに解決の手がかりを打つことです。日が変わると手が打てなくなりますよ。
24 課題のある子ども
 生徒指導上問題のある子どもには、尚更愛情を注いでやる。だれからでもいい、注げる者から注いでやる。愛情を知らなかった子どもが愛情を注げない大人になって子育てをしている。「生涯担任」は、こういう子どものためにあることば。
 学校を卒業して成人になった子どもたちから同窓会に招かれたときに、その担任の指導具合がわかると考えます。手をかけた子はいつまでも慕ってきます。ひょっとして一度も同窓会に呼ばれていなかったら、自分のその当時の担任業務が振り返れませんね。
25 師弟同行でねらうもの
 日本文化の行動様式を手取り足取り教える。決して価値観の押し売りをするのではない。
 言って教え、教師の背中を見て教え、できたことをほめてやれば子どもの第二の天性は育つものだと確信しています。
26 信仰心をもつ
 教育の最近接領域に自然や生命への畏敬の念がある。担任が明確な信仰心をもつことで、子どもに畏敬の念を芽生えさせることができる。これは理論ではない。担任の身体からわき出る「人となり」がそうさせる。
 私は、特定の宗教の信者になることを勧めているのではありません。人の気持ちや命を大切にしようと淳淳する際には、生命に対する畏敬の念を込めた説諭が必要と説いているのです。それがないと、空虚な話になると考えているのです。
 これで、プロの技「学級経営」についての話を終わります。よくお読みいただき、できることがあれば学級の子どもにいかしてください。失礼します。

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