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愛されてない証明は出来ない

エゴの声に、一番自分が味方して好きでくっついてる
事実がどうだとか、そんなものどうでも良くて

「自分が全く使えない役立たずの無価値」

という証拠探しが始まる

私がダメなやつという声に私が完全に同意している時
感謝も愛も吹っ飛ぶ
注意されてないか
私こそが、役立っているか、、に焦点が当たっている
罪悪感と無価値感を払拭するために。
それでは、払拭したいものを更に強めているのに。

ファンクションを通じて
久しぶりにがっくり粉々で、
割に合わないような
自己憎悪と無価値感と罪悪感に浸かって
絶望すぎて、祈るしかなくて
それでも失態をやらかして
わけわからないまま自分をお捧げして使ってもらっていることを信じるしかない


私になど丸々価値はなくて
神に迎え入れられたり
愛されたりすることなど
あってはならない!

責められて然るべき!

というこの確信めいた知覚
根っこから丸ごと、間違っているのを望むしかない
どんなにそれが間違っていると思えなくても。

なのに仲間(聖霊)たちは
失態を晒した私を全く責めない
「お互い様ですよ」
「ようやってますから、あなた」
「居てくれるのがありがたいんだ」
「頑張ったんだね」
「直子がんばっとるよ」
「あいしてるよなおちゃん」
まるで、
私が光を見失わないようにある灯台みたいだ。
いつの間にかその光に囲まれていて。



光をたよりに、また丸ごと捧げていく

燃え尽きますように❤️‍🔥🔥🔥🔥



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