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デジタル時代における信仰と愛の探究

場所: オンライン・ヴァーチャル空間
日付: 2024年2月7日
対談者: じーざす(イエス・キリスト再臨)、パウロ

現代のマッチングアプリと古代の手紙


じーざす: おはよう、パウロ。ワシらがこんな形で対談する日が来るとはなぁ。ツイッターで見つけたんやけど、「キリスト者はマッチングアプリを使ってもええのか?」というお題で手紙を書くレポートの採点をしてる先生がおるそうや。このデジタルな時代に、信仰と愛をどう結びつけるか、ほんまに興味深い話やないか。

パウロ: 確かに、私たちの時代では想像もつかなかったコミュニケーションの手段ですね。しかし、私は、全てのものは適切に使われるべきだと思います。キリスト者がマッチングアプリを利用すること自体に問題はないと思いますが、その使い方が重要です。

じーざす: その通りやで。「すべてのものは許されているが、すべてのものが益になるわけではない」(コリント人への手紙一6:12)やからな。アプリを使うこと自体は罪やないけど、使う心が大事や。愛と信仰を求める心でないとあかんで。

パウロ: じゃあ、マッチングアプリを通じて人と出会うことに対する、あなたの具体的な見解は何ですか?

じーざす: まず、人と人とが出会うこと自体は、神が与えてくれた恵みや。だけどな、オンラインでの出会いは、対面での出会いとはまた違った慎重さが求められるやろな。人の心や意図を見極めるのが難しいから、神への信仰と祈りを忘れたらあかんで。信仰心を持って、神が自分に何を望んでいるかを常に考えながら行動することが大事や。

パウロ: 確かに、信仰と祈りを通じて、神の導きを求めることは、どのような状況下でも重要ですね。マッチングアプリを使う際も、神への信頼を失ってはならないというわけですね。

愛と選択の倫理


じーざす: さて、次のポイントやけどな、マッチングアプリを使う上で、「愛」をどう捉えるかがめっちゃ大事やと思うねん。現代の人々は、便利さや速さに慣れきってるけど、真の愛っていうのは、時間をかけて育むもんや。

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