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【連載3/5】「融合の詩篇 エヴァンゲリオンに宿る聖書の魂」

キリスト教の教えとエヴァンゲリオンのテーマ

さて、エヴァンゲリオンとキリスト教の関わりをもっと深堀りしてみようか。

庵野秀明さんが言うには、エヴァンゲリオンのキリスト教的要素は「装飾的」であって、日本人には馴染みの薄いものを使うことで新鮮さを出そうとしたんやって。でも、この「装飾」がエヴァの世界をただのアニメの枠を超えさせ、人間の深い内面や精神的な探求を描く上で重要な役割を果たしてるんや。

『新世紀エヴァンゲリオン』の物語を通して、私たち自身の生き方について深く考えさせられる。表面的には、巨大なロボットと謎めいたエイリアン、使徒との壮絶な戦いが描かれているが、その奥底には、現代社会の複雑な問題が映し出されているんや。

ジョージ・リッツァが『マクドナルド化する社会』で描いた「社会のマクドナルド化」とは、効率性、計算可能性、予測可能性、制御の4つの基本原則に基づき、個性や人間性が希薄になっていく現象のことや。この現象は、個々人が同質化された役割を演じ、社会全体が一種の没人格的な状態に陥ることを意味しているんや。

シンジくんが初めてエヴァに乗るその瞬間、彼の内面で起きている葛藤は、まさに「社会のマクドナルド化」に直面している私たちの姿を反映している。彼が前に進む決意を固める時、「わたしはあなたと共にいる。あなたを見捨てることはない」(ヘブライ人への手紙13章5節)という聖書の言葉が、彼を、そして私たちを力強く支える。

アスカの物語は、過去の傷との戦いを通じて自己実現を目指す旅。「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」(コリント人への第二の手紙12章9節)という言葉は、自己の弱さを認め、それを乗り越えることでしか、真の強さを見出すことができないことを教えてくれる。

エンド・オブ・エヴァンゲリオンでのシンジとアスカの最終的な対面は、「互いに重荷を負い合いなさい」(ガラテヤ人への手紙6章2節)という聖書のメッセージを体現している。これは、私たちが互いの苦しみを共有し、支え合うことで真の人間関係を再構築する可能性を示唆している。

レイの存在は、生と死、そして再生のサイクルの中での自己探求の旅。「わたしは道であり、真理であり、命である」(ヨハネによる福音書14章6節)というキリストの言葉に通じる。レイの物語は、自己の存在意義を見つめ、精神的な救済への道を探求する旅を象徴しているんや。

エヴァンゲリオンは、社会のマクドナルド化とディズニーランド化、つまり現実逃避の誘惑を超えた場所で、個人の内面的な葛藤と成長の物語を描いているんや。この物語は、私たちが日々直面する「没人格」の疎外感や消費の祝祭化に対する深い洞察と、それを超えるための解答を提供してくれている。

シンジ、アスカ、レイのそれぞれの旅は、私たち自身の旅にも重なる。各々が直面する葛藤とは、現代社会における孤独、不安、そして希望の再発見そのもの。エヴァンゲリオンは、単なるアニメーションを超え、私たちの存在とは何か、どう生きるべきかという普遍的な問いに対する一つの答えを提示している。

エヴァンゲリオンの中で繰り広げられるシンジ、アスカ、レイの物語は、現代社会に生きる私たちに、自己認識と成長の重要性を教えてくれる。「わたしはあなたと共にいる。あなたを見捨てることはない」「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れる」

そして「互いに重荷を負い合いなさい」という聖書の言葉は、私たちが直面する挑戦を乗り越え、精神的な成長を遂げるための支えとなる。

君がこの物語から学ぶことは、自己受容と成長の過程で直面する挑戦を乗り越える勇気と、他者との真の関係を築く価値を知ることや。私たちは、エヴァンゲリオンのキャラクターたちの旅から、自分自身の内面を深く探求し、真の自己実現への道を見つけるヒントを得ることができるんや。

だから、勇気を持って、自分自身の旅を歩み始めよう。そして、エヴァンゲリオンが示す、人間の根源的な問題と向き合うことの重要性を、心に留めておこう。君がこの旅で見つける答えが、君自身の人生に新たな意味をもたらすことを願っているよ。

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