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かっこよく歳を取りたい

僕はうんこを漏らした事が何度かある。
その度に「はぁ、みっともない」と自己嫌悪する。
うんこを漏らす時だけでは無く自己嫌悪する事は僕には多々ある。
酒を飲んだ勢いで喋りすぎる。
面白いと思ってボケ続ける。
テンパって余計なことを言う。
“恥”というクソを塗りたくりながら喋り続けるのだ。

かっこよく歳を取りたい。
歳を取ることにネガティブでは無いが、自分の思うカッコよさは歳と共に増していきたい。
少なからず30歳にもなって糞を漏らすような大人にはなりたく無かった。

「自分の思うカッコよさ」?
分かってるわけじゃない。
見た目なのか、思想なのか、仕草なのか、オーラなのか…
これがわからないのでは話にならない。
そんなことじゃ、「糞を漏らさない事がかっこいい」とは断言すらできない。

自分を見せる。自分を魅せる。
「俺のかっこよさはコレだ!」
「俺のココがカッコいい!」
絶対にそんな事言えないし出来ない。
カッコ悪いもん。

話は一転するが、俳句はかっこいいと思っている。
俳句の何かを知ってる訳ではないが、時々俳句をチラチラとみる時がある。
あの短いフレーズに思いを込める。
粋じゃないか!
しかも季語を入れなければいけないと言うルール。
小さな決められた空間に無限の想いを描く。
ナイスじゃないか!
そんなルールを無視する俳句だってある。
エクセレントじゃないか!

俳句には直接的な表現をしないと言う美学がある。
「言わない」
言わなければ良いんだ。
「何を言うかじゃなく、何を言わないか」
知り合いに言われた言葉。
コレだ!
なんか知的じゃないか?
なんかミステリアスじゃ無いか?
知的でミステリアスでカッコいいじゃないか!

僕はもううんこを漏らしても誰にも言わない。

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