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【エッセイ】サマータイム・アーカイヴ(仮)

 爆発した。僕がだ。
 視界が奪われる。赤い熱風と砂埃に包まれる。体の制御が利かなくなれば、静かに暗転する。ブザーが作戦終了を告げ知らせる。
 僕の所属する地球連邦軍は、敵のジオン軍に、手も足も出ずに敗北した。液晶にはゲームオーバーの文字。とっとと帰れと促すように、「お忘れ物のないように」とアナウンスされる。
 ゲームセンターの筐体は、命令に従順で、慈悲の欠片もない。握っていたレバーが、ほんのわずかに冷えている。
 
 新潟行きの新幹線に乗りながら、ビルの立ち並ぶ景色を眺めている。巨大ロボット、それこそモビルスーツでも現れないものかと、ふんわり考えてみる。
 友人と親父の影響で、ガンダムにハマっている。ファーストとZは観た。ZZは観ない方がいいらしい。
 元々、ロボットは好きだった。好きな小説は『月は無慈悲な夜の女王』で、映画だと『のび太と鉄人兵団』や『逆襲のロボとーちゃん』がオールタイムベストだ。『インターステラー』のTARSなんかも気に入っている。ヒューマノイドでいえば『スペースコブラ』のアーマロイド・レディが理想だ。
 ヒューマノイドは丸型で、巨大ロボットは四角いものだと思っている。だからロボットパルタもザクもドムも好きではない。グフは青いから好きだ。
 ビームライフルにはロマンがあるが、ロボットが扱うのは実弾であってほしい。サブマシンガンなんか最高だろう。ヒューマノイドならP90やUZIが似合うはずだ。
 と、つらつら書けるくらいには、ロボットへの愛情を持っている。生憎ロボットの親といわれるアシモフには詳しくないが、マアそれは本題でないので割愛する。
 話を戻そう。新幹線の車内は、なぜか『クロノ・トリガ―』の音で騒がしかった。スーファミ時代の産物である。思わず「ロボの森イベントいいよな」と声をかけそうになったが、ネタバレになってしまうので、古のゲーマーらしく黙っていることにした。
 立ち並ぶビルは、時間が経つにつれて森林に変わり、いつしか畑になっていた。新潟に着いたようだ。キャリーケースを引っ張り、改札を抜けて、家族の住むネグラへと向かう。
 玄関を開けた僕を出迎えたのは、前よりもシワの増えた親父と母親だった。しかし元気は有り余っているようで、両手で抱えきれないほどの料理を作り、僕に振る舞った。減量中などと言い出せるはずもない。
 少し親父の話をしよう。すぐ猥談に走ることを除けば、親父は尊敬できる人だった。高専出身で、建築に携わる仕事をしている。実家の設計図を書いたのも親父だ。同僚曰く、かなり仕事のできる人らしい。
 親父にはたくさんのことを教えてもらった。数学や物理から、ゲームとアニメのことまで。据え置きのパソコンなら、自分で作れるようになった。
 世俗的にいえば、親父はオタク第三世代の人間だ。ゲームやアニメが迫害されていた時代である。話を聞くには、ジブリさえ好奇の目で見られていたという。
 そういった風潮が蔓延っていた1980年代――オタク第三世代。その生き残りが、どうやら僕の父親なんだとか。
 流行に背き、自身の好きなものを貫いた親父の教えは、できる限り取り入れたいと思っている。もっとも、僕は文系大学に進学してしまったけれど。文学がしたくって。
 それでも僕はロボットが好きだし、ロボットを造るためにプログラミングを勉強している(簡単なゲームなら作れるようになった)。文学を究めながら工学にも手を出す、という訳の分からないことをしているが、それでも親父を含めた家族は応援してくれる。
 膨れた腹を撫でながら、毛布を一枚被って眠ったその夜は、暑さで起きてしまうほどに暖かかった。
 
 爆発した。僕がだ。
 親父に連れられたゲームセンター(徒歩10分なのに!)で、僕が搭乗する陸戦型ガンダムは、グフとの死闘を演じ、そして汚い花火になった。オールドタイプがランバ・ラルに勝てるはずなかったのである。
 アクションゲームが得意だと自認している僕(『悪魔城伝説』をノーミス、45分でクリアできるぞ)は、しっかりチュートリアルを受けてから、いきなり最高難度のステージに特攻した。搭乗するのは、燃え上がる白兵戦用モビルスーツ、ガンダムだ。
 チュートリアルを踏まえるに、遠距離攻撃用のミサイルランチャーと、格闘専用のビームサーベルが用意されているらしい。マアマア、どうにかなる。
 その結果、どうにもならなかったわけだ。ガンダムは大破。地球連邦軍は敗北。僕は1分で200円を失った。無機質な「お忘れ物のないように」がこだまする。
 残念だったな、と軽い声が聞こえた。親父だった。理由の説明できない屈辱感に襲われて、無性に不愉快だった。
 帰宅して、豪華な夕食を口にしながら、あの屈辱を反芻する。人一倍ロボットに情熱を向ける僕が、ロボットの操縦さえままならずに、安いコンピュータプログラムごときに負けたのだ。思い出すうちに苛立ってくる。もっとうまく戦えたはずだ。
 だって、親父の血を引いたこの僕だぜ。
 
 食べたいものがあるというと、親は成城石井に行く。そういう家庭で育った。
 僕の家は貴族ではない。むしろ業務スーパーやトライアルをこよなく愛する人たちだ。僕や姉貴が関わるから、感覚がおかしくなってしまうのだ。だから僕は遠慮がちな性格になったのだが、それでもふと、願望を口に出してしまうことがある。
 観光名所の星峠の棚田に行きたいと言ったのは、決して親を頼ろうとしたわけでない。行きたかったから、行きたいと言ったのだ。
 ただ、僕の言葉を聞いた親父は、意気揚々と車を駆り出した。僕と母親を乗せて、何時間もかけて、得体の知れない秘境へと車を走らせた。
 曇りだったからかもしれない。実際に目にした星峠の棚田は、特段美しくはなかった。人類の叡智を感じる代物ではあったけれど、親父の時間をとってまで行くべきだったかといわれると、首を縦には振れない。それは贅沢な感想なのかもしれなかった。
 帰り道のことは、よく覚えていない。車の揺れ心地が妙に気持ちよくて、すぐに眠ってしまった。起きた頃には見知った家の前だった。
 よく母親から、死んだように眠っていると言われる。今回も同様だったようで、しかし僕をからかうように、母親はケラケラと笑った。親父も口角を上げていた。
 二人には言えないが、僕には漠然とした自殺願望がある。厭世的なのではない。希望がないわけでもない。大学二年生の夏は、叫ぶような熱と自由に満たされているし、今という季節が煌びやかに輝いていることも、子供なりに分かっている。
 家族にも、友人にも、自分にも恵まれている。ただなんとなく、幸せなときに、全部終わらせてやりたいと思っているだけで。
 こんなことを口走ったら怒られるだろうけど、死んだように眠ったあのとき、本当に死んでしまえばよかった。消極的な自己犠牲でなく、前向きなエゴとして。
 車の中で昼寝したというのに、その夜は、すぐに意識が落ちたのを覚えている。母親が言うには、イビキの一つも出さなかったらしい。
 少しは唯心論を信じてみようかな。
 
 今日は爆発しなかった。やればできるものだ。
 僕が搭乗したガンダムは、見事なまでに敵をなぎ倒し、防衛拠点に傷一つ付けずに勝利した。総合評価はS。完璧だ。これが初心者用ステージということを除けば。
 200円を投下して、プレイを続行する。次に選んだのは中級者向けのステージだ。ジャブローという名前がある。原作の『機動戦士ガンダム』にも登場する架空の地名だ。こういう原作リスペクトは嫌いではない。
 ガンダムに乗り込むと、作戦が始まる。原作にも起用された「哀 戦士」が流れ、より臨場感を高めてくる。嫌いではない。むしろ好きだ。レバーを握る力を強める。
 頭と肩がなめらかな、ズゴックなるモビルスーツが登場する。照準をしっかりと定めて、ミサイルランチャーを放つ。ヤツは激しい煙を上げて、前に崩れ落ちた。
 一撃だ。一発当たれば、僕の勝ちだ。
 と、別のズゴックが突進を仕掛けてくる。受け止めるしかない。モビルスーツ同士の戦いは、つまりプロレスなのだ。差し出されたグラスを戻すような真似はできない。
 ズゴックを撃ち、鋭い爪に腹を裂かれる。だが動じない。耐久性の勝負なら、こちらに分がある。ガンダムは打たれ強い。化け物だ、連邦のモビルスーツは。
 ズゴックと格闘している間にも、防衛拠点は傷付いていく。手が空いたら、都度ミサイルランチャーを撃ち込む。モビルスーツが爆発する。確かな手ごたえを感じる。
 拠点はボロボロだが、どうにか勝利を収めた。総合評価はB。まだ成長の余地があるらしい。
 お忘れ物のないように。アナウンスと一緒に復唱する。生憎、僕の手荷物は財布と携帯だけだ。忘れるはずもない。
 今日は一人だった。親父も母親もいない。夏休みなのは、子供の僕だけだ。
 
 サブスクで『新 のび太と鉄人兵団』を観た。東京に帰る三日前のことだ。
 SFはアニメと相性がいい。思い描いている空想を、そのまま絵にしてしまえばいいのだから。その一方で、アニメは内面性の描写力に欠ける。だからSFアニメで「泣かせる」というのは、想像以上に技術が要ることなのだ。
 映画ドラえもんというコンテンツは、毎度それを成し遂げてくれる。エンタメSFとして完成された設定と世界観である。「ドラ泣き」とかいう少々腑抜けた言葉への不満を除けば、僕はドラえもんに一切ケチをつけることができない。
 閑話休題。『のび太と鉄人兵団』及び『新 のび太と鉄人兵団』には、ザンダクロスなる巨大ロボットが登場する。四角くて、格闘系で、つまりは僕のドストライクなのだが、作中ではバレエをさせられたり、あぐらをかかされたりで、散々である。カッコよくないのであれば丸くあれ、と思うのだが、結局ザンダクロスはカッコよくなるので難しいところだ。
 ところで、ザンダクロスの話や、前述したロボット云々の話は、完全に僕の趣味である。話の本筋とは一切関係ない。書きたいことを書いた。なんとなく。ただなんとなく。
 書きたいことを書いて飯が食えるほど、僕は文章が上手い人間ではないし、僕自身が有名なわけでもない。芸能人のエッセイとは訳が違う。それでも書きたいことを書くだなんて、さぞ傲慢なことではないかと考えるときがある。
 誰からの命令もなく、代わりに期待もなく、取るに足らない文章を書いている。今まではそれでよかった。モラトリアムが許してくれた。大学二年生。まだ時間はあるのだと信じて疑わなかった。
 この夏が終われば、僕は20歳になるらしい。酒や煙草といった、底なし沼のような娯楽も解禁される。黒いカーテンも堂々とくぐれるようになるだろうし、ストリップだってデカい顔をして入ることができる。忘れてはならないのは、何事にも代償が付きまとうこと。
 僕は生きてしまっている。あと数年が経ち、社会に所属すれば、僕は僕でいられなくなる。個人よりも社会を優先し、個性を保つことを諦めて、モラトリアムが許容したダスマンではいられなくなる。
 それでも、書きたいことを書いていたいと思うときがある。横暴なことに、それを誰かに伝えたいとさえ願う。
 夏の夜は短い。眠るように死んだって、茹だる暑さが許してくれない。
 
 躁鬱病だと周りに打ち明けると、ほとんどの人が心配してくれる。治すべきかと訊くと、治すべきだと返ってくる。
 この病気は、僕が中学校に入学してから付きまとっていた亡霊だ。こいつを治すとなると、僕の半生を否定することになる。
 つまり、何気なく僕の半分を殺していることに、彼ら彼女らは気付いていないのだ。
 朝食の後に錠剤を飲んでいると、親父が声をかけてきた。薬の効用が気になるらしい。「効果はある」と答えておいた。親父はそれっきりだった。
 僕を含めた家族から見ても、親父は重度の鬱病を抱えている。だが病院には行きたがらない。自分は病気ではなく、元々こうだったのだという。
 でも、いざ僕が精神疾患に罹ったら、仕事を休んでまで飛んでくる。
 親父はそういう人だ。周りにばかり目を向けて、自分のことを何も分かっちゃいない。
 順当に行けば、親父は死ぬ。僕より先に。それが数十年後か、あるいは数日後か、僕には知れないけれど。でも覚悟はしている。備えておけば、死なないから。
 身構えているときには、死神は来ないものだ。そうガンダムが教えてくれた。
 
 爆発してたまるか。今日いっぱいで東京に帰るのだから。
 200円を筐体に呑み込ませてから、僕はガンダムに飛び乗った。選択したのは、かつて手も足も出なかった、最高難度のステージだ。
 地球連邦軍。ミサイルランチャーとビームサーベル。聞き慣れたアナウンスを復唱しながら、最後の戦いへと飛び立った。
 まず最初に現れたのは、グフだ。いかつい丸坊主みたいな見た目をしている。そいつは開始早々マシンガンをぶっ飛ばして、ガンダムの足を砲撃した。ガンダムがバランスを崩す。
 その隙に、タンクが砲撃を放つ。防衛拠点が損害を食らう。拠点の体力が尽きたら敗北である。まずい。
 僕は大きく息を吐いて、勢いよく左ペダルを踏み込んだ。背中のジェットが噴射して、ガンダムがぶわっと飛び上がる。タンクに視線を向けて、右レバーのボタンを連打した。ミサイルが飛ぶ。視界を左右に動かして、ミサイルを四方に拡散させる。合計12発。
 このトンデモ作戦は成功したようで、タンクとグフは狼煙を上げるように、大きくて赤い煙を出した。直後、無残に爆発する。二体同時撃破だ。
 一息つく。先頭部隊は撃破した。だが戦況は劣勢。拠点はダメージを負っており、次に攻撃を受ければ、甚大な被害を被る可能性がある。液晶の中の世界とはいえ、僕の守る場所だ。手に力がこもる。
 第二陣が襲来した。照準が定まる前に、ミサイルを乱射する。何発かが命中し、グフ一体を仕留めた。その隙に、とタンクが拠点へと近づいていく。僕は右ペダルを踏み込んで、ガンダムを加速させた。そして左レバーのボタンを押し込む。黄色に光ったビームサーベルが、タンクをまんまと貫く。
 と、ガンダムが倒れた。横から攻撃を受けたらしい。ガンダムを立ち上がらせながら、敵の正体を確認する。そいつはギャンだった。鉄仮面を被った騎士のような見た目。確か、格闘戦に特化していたモビルスーツのはずだ。間合いを取らなければならない。
 二つのレバーを後ろに引き、右ペダルもゆっくりと踏む。ギャンと距離を取った、その瞬間に右レバーのボタンだ。三発ものミサイルが、容赦なくギャンを襲う。ヤツはかろうじて耐えたようであったが、僕は一気にガンダムを前進させて、ビームサーベルで斬りかかった。ギャンの爆風に視界を奪われた。
 液晶に「敵エース部隊」の文字が現れる。最終決戦が始まるらしい。防衛拠点の体力はわずかだ。レバーを握り直す。妙に温かいのは、体温だけのせいではない、気がする。
 遠くから、全身が赤く、鎧をまとったようなモビルスーツが現れる。ゲルググだ。このステージのエース機にして、事実上のラスボスである。原作設定だと、ガンダムよりも高性能だったはずだ。
 ゲルググが急加速を始めた。一気に間合いを詰められる。慌ててビームサーベルを振ったが、その前に、ヤツのナギナタがガンダムを貫いた。体力を大きく削られる。
 一旦後方に下がり、得意のミサイルを放った。大きな爆風。着弾を確認する。だが倒れない。さすがはエース機だ。一筋縄ではいかないらしい。
 ゲルググが突進する。またナギナタだろう。そこでガンダムをジャンプさせた。そして視点を真下にして、ありったけのミサイルをぶち込んだ。ゲルググが倒れ込んだ。
 そのとき、アナウンスが「拠点が大破しています」と叫んだ。周りを見回す。物陰にタンクが隠れていた。ガンダムが来ないのをいいことに、悠々と拠点に砲弾をぶつけていたのだ。
 今から向かっても、ヤツの次の砲撃に間に合わない。ミサイルを用意する。が、弾切れだ。全てゲルググにぶつけてしまっていたのだ。
 リロードには10秒かかる。それまでに、タンクが拠点を破壊してしまう。
 せっかくエース機まで辿り着いたのに、こんな無様な敗北があってたまるか。ヤケになって、左右両方のレバーのボタンを、同時に押し込んだ。
 謎の銃弾が発射された。タンクを正確に貫き、ついに爆破まで追い込んだ。
 慌てて装備を確認する。こんな武器、一度も使ったことがない。バグか、不具合か、それともゲルググの誤射か。頭が破裂しそうになる。
 装備画面に映っていたのは、サブウェポンのサブマシンガンだった。なんということだ。チュートリアルでは習わなかった。上級者向けということか。
 考えている暇はない。再び起き上がったゲルググに、ありったけのサブマシンガンを乱射する。倒れない。だがミサイルの装填が終わった。右レバーのボタンに触れる。
 が、ゲルググが真左に移動を始めた。ミサイルが全て逸れてしまう。次のミサイルを発射する、その前にナギナタの一撃を叩きこまれる。ガンダムが、仰向けに倒れ込んでしまう。
 ガンダムの体力も、拠点の体力も、指で数えるほどしかない。
 起き上がり、ビームサーベルを握る。ゲルググと向き合う。
 右ペダルを踏み込んで、大きく前進した。左レバーのボタンを、強く押し込んだ。サーベルを振るった。勝利を確信した。
 一瞬だけ、ゲルググに先を取られた。サーベルがゲルググに触れるその直前、ナギナタがガンダムの燃料タンクに触れたのだ。
 爆発した。視界が奪われる。赤い熱風と砂埃に包まれる。体の制御が利かなくなれば、静かに暗転する。ブザーが作戦終了を告げ知らせる。
 だが、地球連邦軍――僕は勝利した。拠点さえ守れば、ガンダムがどうなろうが勝ちなのだ。総合評価はB。知ったことではない。勝てばそれでいいのだから。
 とっとと帰れと促すように、「お忘れ物のないように」とアナウンスされる。確かに、そろそろ家に帰らないと、新幹線に乗り遅れてしまうだろう。
 別に最高難度のステージをクリアしたからといって、自衛隊に表彰されることもなければ、大学で自慢することもないだろうけど、久しぶりに自分だけの力で何かを成し遂げられた気がして、無性に胸が弾んだ。嬉しかった。
 親父は家で待っている。今だから分かるけど、あんた、僕が勝つって分かっていたんだろ。
 
 入場券を買ってまで、両親は僕を見送ってくれた。互いに敬礼をして、数ヶ月間の別れを惜しんだ。新幹線が走り出すとき、親父が何かを口走った。どうせ「ジークジオン」だろう。
 真っ暗な窓を覗いて、反射した自分の、膨れた頬を見やる。この二週間で、体重がかなり増えてしまった。しばらく焼肉は食べない方がいいかもしれない。
 東京まで二時間ほどあるから、どうにかして暇を潰そうと考えた。そこでパソコンを開き、僕の稚拙な文体で、帰省の記録を書き殴っている。書きたいことを書いている。
 この夏が、僕をどう変えてくれたのかは、今はまだ知れない。死ぬまで分からないかもしれない。けれど、19歳最後の夏というものは、こうも自由で乱暴で、ちょっぴり切ない方がいいのかもしれない。恋人に永遠の別れを告げられたあとの、机に乗った二つのコップみたいに。
 こんな取っ散らかった文章を、夏の日の記録とするには、どうにも気恥ずかしい。だからタイトルは仮称としておく。キーボードを打てば、またこの夏に戻ってこれるように。

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