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養子と猫とわたし~22歳女子が考える結婚と出産について~


はじめに

22歳の女子と言えど、晩婚化が進んだと言えど、結婚とか出産については先の人生考えてたら自ずと考えさせられる。22歳はおろか大学生になったくらいから「うちらって結婚できるんかねー」って話は友人としてた。まあ、大変漠然ではあるけど。最近いろいろ思いついたことがあるのでここに記録しておく。これは22歳女子大学生夏に私が思った結婚観とか子供を授かることについて。


結婚って本当に幸せなのか

昨今芸能ニュースでは「結婚」と同じくらい「離婚」や「不倫」が大々的に取り上げられる。人間の性か知らないが、良いニュースより悪いニュースの方が心にも記憶にも強く刻まれる。また、世間には不倫や夫婦間トラブルを題材にした映画やドラマが溢れている。それからSNSのタイムラインには「旦那が○○(家事など)しなくてー」というような愚痴が脈絡もなく現れる。結婚は本当に幸せなのだろうか?と私は思った。パートナーがおらず一人で生活していたらそのイライラは発生しなかったはずだ。

もちろん、結婚は幸せなんだろうと思うこともある。私の両親は連れ添って二十数年になるが未だに仲がいい。夫婦生活は楽しそうだ。映画やドラマ、漫画で描かれるプロポーズは女性が涙ぐんで喜ぶ様子から、わたしも憧れを抱くし、どれだけ嬉しいことなんだろうと想像を掻き立てられワクワクする。それでも、そのような結婚に対する良いイメージが悪いイメージをかき消すことはない。結婚は本当に幸せなのだろうか。


養子と猫とわたし

私はちゃんと恋愛をしたことがない。正しくは「恋愛」と言われて一番多くの人が思い浮かべるような恋愛をしたことがない。共通のコミュニティで知り合って、告白して交際がスタートして、初めて手をつなぐこと抱きしめられることキスすることセックスすることにいちいちドキドキして、最終的には結婚して最高に幸せって言うような王道コース的な恋愛をしたことがない。まあ、このガキ何も知らねえな、そんな恋愛してるやつもそれほど多くないぞって私より何年も長く生きて人生経験の豊富な大人は言うかもしれないけど。正直そんな王道コース的恋愛をできない私は「負け組」だって思うし、劣等感を感じる。だから私はそんな恋愛してる奴なんてつまらないっていう訳のわからないひねくれた解釈までして自己保身に奔る。わかってる、ダサいって。そういう考えってきっと心のどこかで恋愛して結婚して幸せになるっていう認識があるからだと思う。

最近一人で恋愛と結婚について考えていて思ったことがある。私の結婚したい一番の理由は同年代が結婚していく中で一人寂しいのはごめんだから。一生添い遂げるパートナーが欲しいってわけじゃない。だから、結婚しなくても自分が寂しくない人生を送れる方法を見つければ結婚願望はなくなる。その時思いついた。

私、養子もらって猫飼おう。

つまり、【子供(養子)と猫とわたし】という家族構成で暮らそうということ。なんで子供かというと、22歳になるまでやりたいことは大抵やらせてくれて、わたしが選んだ道は応援してくれて、自由にのびのび育ててくれた両親にはものすごく感謝しているから。その恩はもちろん親孝行という形で親に返したいと思うけど、私の子供を私がしてもらったように大事に育てることでも恩を返したい。だから、子供を育てたい。その願望に対して、結婚しなければいけないということは絶対条件ではない。単身でも冷凍精子を利用したり養子をもらえば子供を育てることはできる。顔も知らない誰かさんと私の子っていうのはなんとなく嫌だし、身寄りがなくて困っているかもしれない子を引き取って育てることは社会貢献になるかもしれない。そういう訳で養子をもらうに一票。ちなみに調べてみたところ単身世帯でも養子はできる。養子をもらうってことを考えたとき、子供にとって仲間たちと施設で暮らすのと、片親でも養子としてもらわれることどっちがいいんだろうと思った。私の友人曰く、施設は18歳になったら出ていかなくてはならなくて、社会に出てうまくいかない子も多いんだとか。その子の意見では、片親でも一人の大人が目をかけてくれた方がいいのではということだった。

まだまだ未熟な22歳の脳みそで考えたことだから、大人はムリだ馬鹿げってるっていうかもしれない。でも、私にとって大事なのはそんなことが本当に実現できるかどうかってことじゃない。結婚できなくても自分が納得して幸せになれるかもしれない道を発見したことでなんとなく気持ちが軽くなったことが一番重要である。私は別に結婚しなきゃと思っていた感覚はないが、きっと心のどこかずっと深くでは結婚して幸せにならなきゃと思っていたのかもしれない。その証拠に養子と猫と私の道を思いついた後、気持ちが軽くなったような気がする。王道な恋愛ができなくても、最終的に結婚ができなくてもいいや、と思えて「道」は一種の「逃げ道」になった。そう思えてから思った。22歳の未来あるガールに女の子は結婚したら幸せ、結婚しなきゃっていう認識を本人も気づかないうちに植え付けたのは誰だろう?


私は私のあなたはあなたの道を行く

母から「○○ちゃん妊婦さんやって」とLINEで報告を受けた。○○ちゃんは私と同級生つまり22歳。たぶん今年社会人1年目。わたしはそっけなく「ふーん」とだけ返した。なんとなくモヤっとした。母は私からどういう反応が得られると思ったのだろう。「えー、妊娠とか早いね」だろうか。「えー、あの子が!意外だね」だろうか。それとも母はただ事実を報告したまででそういう反応ほしかったのかなとか、一瞬でも早いなあと思ってしまった私が固定観念にとらわれてしまっていることにモヤっとしたのだろうか。両者あると思うけど、母もママ友コミュニティから仕入れた情報らしく、母に伝えた人含め、○○ちゃんが妊娠したということに何らかの思いはあるのだろう。女のコミュニティで噂になる関心ごとはみんな思うことがあるからだ。(と22年間の女子経験が教えてくれる)

周りに結婚している子もいるけど、やっぱり同級生が「結婚」とか「出産」って考えると早いなあって思ってしまう。だって、私自身がそういうライフイベントに直面することがまだまだ全然現実味を帯びていない。でも、前述したとおり、早いなあって思ってしまう私に何だかモヤッとしたし、残念だと思った。たぶんその答えは、人は人、自分は自分だからみんな足並みをそろえる必要はないし、自分が生きたいように生きればいいのに、他人が口出しをするのはおかしいってわかってるから。そんなおかしい人の一人に自分もなっちゃってたから自分の価値観に自分で残念ってなった。


おわりに

私は女子に生まれたから女子視点でしか語れなかったけど男性だって、人は人、自分は自分。結婚しなくてもいいし結婚してもいいし、出産してもしなくてもいい。それに限らずいろんな事あれやこれや、世の中でスタンダードだと思われるようなことをしなくても全然いい。そんなスタンダードは蹴っ飛ばしてやりたい。自分の人生は何のためにあって、自分は何のために生きてるんだろうって考えたとき、最終的には自分は自分のために生きるしかないって私は思った。肉親であっても、他人は他人。誰かのために行動するのであってもそれは自分のために誰かに貢献するものでなくてはならない、と私は思う。だから、私は私が納得できるように自分本位で選択していく人生を歩みたい。



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