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”終わり”を想像してしまうのはただのネガティブちゃんだった

友人と恋愛の話をしているときに、彼は「だって、終わりなんて考えないじゃん?」と言いました。どういう文脈だったかは忘れてしまったけど、「始まるときにまさか終わりのことなんて考えていない」というニュアンス。

私は何につけても終わりのにおいがしなくても、いつか来る終わりのことを考えてしまう。そんな時に彼のこの言葉を思い出しては、わたしと違う世界線で生きる彼をうらやましく思う。だって、終わりを想像しがちな人にならない人生を歩んできたってことでしょ??


楽しみにも終わりを見出して悲しくなる

わたしには遠方に住む親友がいる。どれくらい遠方かというと距離的にはそうでもないがアクセスが悪い。距離でいうと東京ー大阪間よりはあるっぽい。彼女と付き合った年月は短いけれど、相性がいいらしく、いつまでもくだらない話ができる。海外で生活しているときに同じ住居に住んでいて物理的距離も近かったのだが、日本に帰ってきてからはそう会える距離でもない。二人で会いたいねという話をしながら彼女は言った。「今から、会ってバイバイするのを想像して悲しくなってる」と。私も同じ気持ちだった。まだ会ってもいないのに分かれることを想像すると苦しい。


関係の終わり

わたしには遠距離恋愛中の恋人がいる。彼との関係にもいつも終わりを描いてしまう。別に私たちの関係に終止符を打つような影が忍び寄っているわけでもないのに幾度となく想像してしまう。別れるとしたら、わたしが愛想尽かされるか、わたしが好きすぎて苦しくなってだろうなとか。(なんだこれ惚気てる)というか、恋人がいないときから思っていたけど、周りの人が恋人との写真をインスタグラムに投稿して分かれては消すっていうのをよくやるのだが、そんなことやるなら最初からやめとけよって思う。消すときにまた、終わってしまったことがはっきりして悲しくならないんだろうか。というより、まだ付き合ってる段階から別れた場合を想像してるわたしが少数派なのだろうか。


人生の終わり

私は人生が終わることも想像してしまう。というより、終わりに向かっていくことを想像してしまうし、”老い”というものをものすごく恐れている。いつか自分も走れなくなって、歩けなくなってしまうんだろうなあ、と道行くお年寄りを見て想像してしまう。文字に起こしてみて思ったけど大分失礼だ。老いていくのも嫌なのでわかくてきれい若くてきれいなうちに棺桶に入ることも検討してみたりもする。最期にまで苦しみたくはないので、できれば老衰でスッと逝きたいけれどそうしたら老いていく自分と向き合いながらその瞬間を待たないとだなあ。


”おわり”に

この記事を書いていて、最初は「悲しい終わり」をたくさん経験してきてしまい、悲しみの予防線を張る意味でも終わりを想像しているのかなと思ったが、書いている途中で単純にわたしがネガティブなだけだと気づいた。いくら終わりを想像しても、それはあくまでも想像であるから現実になるかどうかわからない。そんなことに労力を割くなら、楽しい今を全力で楽しむことや苦しいことを乗り越えるためにエネルギーを使った方がよいのかな。

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