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トラウマから解放されたい

「あの食べ物を見るとトラウマなんですよー」とテレビで何気なくタレントさんが口にしているのを見ると疑問に思うことがある。

トラウマとはその程度でも良いのかと。

今私はトラウマによって引き起こされる症状が出ており、ちょっと辛い日々を送っている。

フォローしている方々の記事を読む元気もないので、スキを押せない状況だがどうぞご理解をいただきたい。

この記事にあるトラウマの再演は私の人生でも頻繁に起こっていることだった。

物心つく前から暴力を受けていた私は、10代、20代、30代、そしてつい一年前までトラウマの再演が繰り返し起こっていた。その事象にそんな名前があることすら知らずに。

「私は暴力を受けるべき存在なんだ、幸せな場所にいていいはずがない存在なんだ」と感じてしまう。暴力を受けていた当時、つらく苦しい世界に辻褄をつけるため必死に言い聞かせていた言葉が今も蘇り、自分自身が幸せを感じることを許さないのだ。本当は幸せになりたい……、でも、幸せを感じると怖くなり、反動で自傷衝動が止まらなくなってしまう。何が幸福で何が苦しみなのか、何が暴力で何が愛なのか……。こうやって原稿を書いて人に伝えられる仕事についている今も、実は「混沌の世界」に生きている。
現代ビジネスより抜粋

この記事にあるように、私も無意識でこんなふうに思っていた。私は暴力を受けても仕方がない存在、幸せになってはいけない存在だと自分で言い聞かせていた。だから人間関係などでいつも同じところでつまづく。もはや愛なのか暴力なのかもわからない世界で私も生きていた。

友人に、「zoéちゃんはダメンズ好きだからー」とケラケラ笑われたことがある。

当たり前だ。

私は自分で自分を傷つける代わりに、男性という道具を使って自分の中も外もズタズタに切り裂こうとしていたのだから。幸せになる権利はないし、幸せになっては自分が困る。その一方で幸せを渇望していた。

トラウマの再演と同時に起こる自傷行為。真実と向き合い始めてやっとこの自傷行為を止めることができたが、またいつ再発するかわからない恐怖がある。
だがトラウマの再演は、自分を傷つけると共に、そこからなんとか回復したいともがく過程でもあると言われている。


ある時、「私は異性に愛されたこともなければ、誰かを愛したこともない」と気がついた時には愕然とした。

今も私を道具にした人たちのことは、自分を傷つけるための道具にしか見えない。

私は誰のためにも生きておらず、ただ自分で死ぬのが怖いから生きている。

もし自分の死ぬ日がわかったのならきっと心からの平安が訪れるだろう。

なぜならやっとこの苦しみから解放されるのだから。

そのくらいトラウマとは深く、そして治癒することのない傷だ。

そのくせ自分の中にある「愛」の使い方を持て余していた。

この愛は行き所がなかったが、ようやくそのベクトルが自分へと向き始めた。

今は現実を生きながら、頻繁に繰り返されるフラッシュバックの映像が同時進行で目の前に流れてくる状況だ。noteの文章からは想像できないかもしれないが、私はそんな毎日を生きている。呼吸が苦しくてもがきながら、必死で笑っている。


以前近くの海にパワーストーンを捨てるために行ったことがあった。

結構波が高い日で、波打ち際まで石を捨てに行こうとしたら、突然波に足元をすくわれて海に引きずり込まれそうになった。

その時の海

こんなことで死んでたまるもんか!

咄嗟に頭をよぎったのは、私の生への執着、本心だったのだと思う。

こんな過去をひっくるめてやっと自分を好きになって、幸せになることを自分で許可するスタート地点に立てたのだから、このトラウマから解放されて少しでも穏やかな日々を送りたい。

そろそろトラウマの治療を受ける時が来たのだと思う。

私が好きなTXTの「RUN AWAY」という曲の始まりは「僕以外幸せそうなんだ」というフレーズから始まる。とても共感できるフレーズだ。

人にはそれぞれ言えない悩みや苦しみがある。

私が他者の苦しみを理解できないのと同じように、私の苦しみもまた他者には理解できない。

私は今のこの辛い状況を脱出する方法を模索しつつ、日々を生き抜くサバイブしかない。

記事は少しでも楽しいことを思い浮かべながら毎日書いていこうと思う。ストックもある。

今はフォローしている人の記事が眩しすぎて読むことができないので、もう少し元気になったらまた読みに伺います。








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