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N先生へ

以前も書いたが、私は小学生の頃からバレーボールをしていた。


沢山の先生やコーチに鍛えてもらったが、今でも忘れられない先生がいる。

ここではN先生、とさせていただく。

すでにお亡くなりなっているのだが、私にとっては忘れられない先生の一人だ。

今だと絶対に体罰になることであっても、私たちの年代では、よく先生に部活動でビンタとかされてたものだ。私も先生から叩かれたことがあったしよく怒られた。「指導」という名目だったのだろうが、それは本当の指導でもなければ教育でもない。ただ感情に任せての暴力だ。

人はそれだけで緊張するし萎縮する。そうすると、本来持っているはずの力が全く発揮できない。「なんでそこで打たないんだー!」と言われて、私はますますスパイクが打てなくなった。

ある時N先生が私たちの練習する体育館にいらっしゃった。

別の小学校の先生なのに、前勤務先というだけで練習を見にきてくれたのだ。

その先生はバレーボールをするにはあまりにも小柄で、見た目だけでは「本当に?」と思うのだが、これまでいくつもの強豪チームを育ててきた先生だった。

その先生のもとでバレーボールをしている子供たちの目がキラキラしていて、先生に褒められたという自信を持ってプレーしているのが、同じ小学生でもわかった。羨ましい、とさえ思った。

それはN先生の声かけにある。

子供たちを笑わせようとして怒った態度をすることがあっても、言葉で絶対に子供たちを責めたりしない。手もあげない。

よかったところをちゃんと褒めてくれて、失敗したとしても、どうしてそうなったかを的確に指摘してくれる。

県内の強豪校との練習試合で、何度挑んでも勝てない私たちに、「次はさっきのセットより一点でもいいから多く取れ」と言ってくれる先生だった。勝て!とは言わない。

私は当時ミスが怖いのと怒られたくないのと親が練習を見にきていたという理由で、全くスパイクが打てなくなっていた。その理由を聞こうともせず、ただただ「なぜだ?!」と怒る大人たちに、「そっちこそなぜ気持ちをわかってくれないの?」と少し辟易していた。

そんな中で、N先生は私のスパイクのコースがとてもいい!と褒めてくださった。
一度や2度ではない。何度も褒めてくれる。

そして失敗しても責めない。
「次がある」と声をかけてくれた。

ただN先生がそこにいるだけで緊張が解けて、本番でも本来の力以上を発揮できるようになっていた。

N先生は、私の力を伸ばしてくれる不思議な力があるんだと当時は思っていた。

今考えると、子供たちのやる気を引き出してくれるすごい先生だった。

N先生は教頭になってわけでも校長になったわけでもない。出世という道を選ばなかった先生。だがいつでも子供目線で、褒めて伸ばしてくれる先生だった。体罰が当たり前だった時代に、こんな先生は珍しかったかもしれない。

人を教えたり指導したりすることはとても難しい。
私は今教えてもらう立場にあるが、毎日心臓が口から飛び出そうなくらい緊張している。緊張もするけど、自分らしさが発揮できているなと思う時もある。

もうN先生はいらっしゃらないし、こんな大人をもう誰も褒めてくれない。だから自分で昨日より一つでもできたことを褒めようと思う。

今日というこの日に、N先生のことをふと思い出した。





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